見出し画像

 きっと、むかしのように一日でも二日でも電動車いすに座りつづけられたら、帰りのバッテリーのことを頭に入れながら、行けるところまで行こうとするのではないだろうか。

 ぼくの暮らしているところは下町だから、ちょっとした散歩やスーパーや市場の買いものへ行くぐらいでは、町並みにさえぎられて山の輪郭を確かめることができない。

 何棟か並んだ文化住宅の路地を抜けると、多少のうねりはあっても、南北に走る道へ出る。
リーマンショック以前ほどではないにしても、一車線だけにしては交通量が多くて、つき添うサポーター(ヘルパーさん)さんたちは生きた心地にはなれないらしい。
 
 歩道は車いす一台分の幅しかないところと、その歩道すらないところがつづく。
 さらにこまかく書き足すと、脱輪すれば横倒しになる箇所もけっこうあって、自転車や歩く人(歩行者と書かないことに深い意味はない)が追い越したり、すれ違ったりするとなれば、いちいち銅像のようにジッとしていなければならなくなるし、相手からすれば障害者ではなく障害物になってしまいそうだ。「障害物」なんて健常者の人が書いたら、クレームがくるのだろうか。ほんとうに難しい、気を使う世の中だと思う。
 
 ということで、ときどき何台かの車を従えるように、ぼくは車道の端を歩く。
 二十五年も同じ地域で暮らしていると、このあたりを頻繁に走るドライバーさんは、ぼくの電動車いすの運転技術を信頼してくれていて、障害者差別解消法がスタートするずっと以前から、クラクションを鳴らされることはほとんどなかった。
 道幅の広いところで立ち止まり、追い越してもらうときに「ありがとう」と伝えるか、頭を下げると、手を挙げるなどのリアクションを返された。
 そのたびに、ホッコリする気持ちになった。
 
 さっき、つき添いのサポーターさんたちは「生きた心地にはなれない」と書いたけれど、何度かいっしょに歩けば、ぼくの腕前とドライバーさんたちの対応を肌で感じて、ほとんどの気持ちが安心へと移っていくみたいだった。
 
 障害の関係で歳を重ねるにつれ、いろいろな部分で許容範囲は狭くなっていく。
 そんな中で、これまでだと気にもならなかった座るポジションによって、コントローラーの操作にしづらさを感じる場面が増えて、運転がギクシャクするようになった。
五年ほど前からだっただろうか。

 そこへ去年の冬からの引きこもり暮らしの筋力低下による腰痛が重なり、リハビリと並行して、車いすの各パーツの位置関係や形状の試行錯誤をくり返している。
 誠実な業者さんだから、アウトドアの店とか、ホームセンターへ行けば使えそうなものがあるといった自分たちの利益につながらない情報まで、教えてくれたりする。
 
 たまたま、車いすが動かなくなってしまった。
ひと月ほどして、工場から修理された車いすが戻ってきた。
 「コントローラーを交換する必要があったので、これまで要望されていたレバーをイメージして、工場でつくってみたんです」
 営業さんは、いつもの柔らかな口調でつづけた。
 「うまくいくかなぁ。希望に応えられるかなぁ」
仕事プラスαで相手を想いながら動く彼だから、不安げな表情がぼくにはうれしかった。
 
 さっそく、帰ってきた電動車いすに乗ってみた。
ぼくが触れようとすると、レバーから指に吸いつく感覚だった。
感触だけではなく、サイズも言うことなしだった。
 たった一つのパーツが換わるだけで、驚くほどリラックスできるようになった。
 もちろん、運転技術もすっかりむかしに戻って、おかしなブレはなくなったし、もともとぎこちなかったバックまでスムーズに行くようになった。

 さて、最初のほうに書いた南北に走る道を上がって行けば、山なみがだんだん大きくなってゆく。
 一時間半ほど歩けば、稜線もくっきり見えるようになる。
さらに一時間ほど歩けば、輪郭のこまかな起伏も判るようになる。
 その先は坂の多い地域に入るので、交通機関をつかって会議のために通ったことはあっても、山々に会いに行った日はなかった。
 
 山々に会いに行くにしても、電車を乗り継げば簡単な話にちがいない。
でも、だんだん近づいて行く過程を味わいたい。
 色あいが変わり、輪郭の起伏が判る その先の樹々の一本一本に、歩いて 歩いて、会いに行けるようになるだろうか。

 理学療法士のK先生のぼくへの決まり文句は、いつも同じだった。
「ぼくの役目は、おっちゃんが一日でも長くひとりで町を歩けるようにサポートすることや」
 K先生はぼくの気持ちをよく汲み取っていて、なにかを決めるときにはいくつかの選択肢を提案した。
そこがこだわりかと思っていたら、まったく違っていた。
ぼくの友人の暮らしのサポートにも携わっていて、彼にはとても明確な方向性を伝えていたようだ。
 K先生みたいに頭がキレて、相手の立場を思いやる人をあまり知らない。

 いま、お世話になっているリハビリの先生もK先生といっしょに働いていたことがあるらしく、よく「K先生やったら、どんなふうに考えるやろなぁ」などと笑いあっている。

 すこしずつ腰の具合はよくなって、車いすに乗っていられる時間も延びてきた。
適度に無理をしないほうへカジをきるのか、もっと貪欲に回復の道を進むのか、K先生なら、気持ちの揺れているぼくにどんな言葉をかけて、どんな選択肢を提示するのだろうか。
 残念ながら、五年ほど前に空の上へ旅立たれてしまった。
 
 本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 きのう、車いすに乗るのをサボってしまったので、これから町へ出ようと思う。
雨が上がって、一気に温度が下がったらしい。
キンモクセイは、匂いはじめているだろうか。
冬を告げるモズの高音に出逢うのだろうか。

 この秋、初めてトレーナーを着る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?