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愛着

 ここのところの日課になっている二時間ほどの外出から帰って、着替え(介護用語では「衣服の着脱」というらしい)が済むと、今日のサポーターの栗岡くんによれば、「二秒もたたないうちに熟睡してはりました」とのことらしい。
眠る前に考えていたいくつかのテーマをほっぽり出して、「いま、書きたいこと」を最優先にしようと思う。

 さて、サポーター(ヘルパーさん)さんの中には、身のまわりのグッズを愛称で呼ぶと、ややこしいという人もいる。
 だけど、電動車いすでまち歩きをする時間も減って、「愛称グッズ」もほとんど使わなくなってしまった。

 ついさっき、栗岡くんにマクラをnoteの投稿用のものに換えてもらった。
「還暦を過ぎたオッサンがアホくさいこと言うようやけど、note用のマクラは『noteくん』、ごはん用のマクラは『ランチちゃん』と呼ぶようになったんや。エヘヘ~」と、照れ笑いを添えて説明した。
 彼はぼくとのつき合いも長いから、それなりに「気持ちごと」理解してくれた様子だった。

 でも、ぼくは念押しがしたくなった。
「あのなぁ、ぼく、愛着のあるものに名前をつけたくなるんやなぁ」
 このひと言で、栗岡くんの胸にも深く落ちたみたいで、彼が共感をしたときの相づち「なるほど」が飛びだした。

 誰かと響くと、うれしい気持ちになる。
ぼくの暮らしにたずさわる一人ひとりだと、小さなことでも安心感がひろがる。
 そんなくり返しが信頼へとつながるのではないだろうか。

 快適な毎日を過ごすための脇役「ランチちゃん」と「noteくん」を載せようと思う。


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彼女(?)がランチちゃんです。コンパクトサイズで、お茶を飲むときにも顔のすぐそばまでコップを近づけられます。ストローを使うぼくにとって、コップが顔よりも高い位置にくると、ちょっと吸ったつもりでも、液体がどんどん口の中へ流れ落ちてきて、えらいことになるわけです。
ちょっと固めの彼女は、しっかり者としてぼくの頭と首を支え続けています。


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彼(?)がnoteくんです。ランチちゃんと比べると大きめサイズで、真ん中にくぼみがあって、感触はフカフカです。言葉を正確に伝えようとすると硬直が強くなるので、頭をくるむように受けとめてくれるnoteくんは、ぼくの文章づくりになくてはならない存在になりました。

 急に「です、ます」調になりました。
友人のような感覚なので、このほうがピッタシな気がして。
このまま最後まで、今日はいきます。

 最初に触れたように、外出時間が減ってしまって、「愛称グッズ」も使わなくなってしまいました。

 電動車いすのコントローラーを雨から守るゴアテックスの巾着(元々はアウトドア用のコンパクトにたためる合羽の袋でした)は、「イトウさん」。これはプレゼントしてくれた友だちの名前でした。

 時計代わりとして重宝していた携帯ラジオには、「妹尾さん」。
平日の朝からランチタイムにかけて放送していた「全力投球!!妹尾和夫です」には、ほんとうにお世話になりました。
どんなにしんどいことに直面していても、妹尾さんの渋い声に反比例したようなとぼけた日常のオブジェに、いつも爆笑の連続でした。
 「清八そば」さんでのタウンミーティングでは、渋い声がよく似合う物静かな紳士で、こちらが持ちかけた相談にも丁寧に話を聴き、応えていただきました。

 食事のときのナプキン代わりのタオルをはさむクリップには、「みっちゃん」。
名づけのきっかけは忘れました。
「忘れました」と入力された瞬間に、思い出してしまいました。
 二十年近く前にバイトで来てくれていたKくんは、ぼくのサポートだけではなくて知的障害の人たちの施設でも活躍していたようでした。
そのとき、彼はみっちゃんの食事のサポートをよくしていたらしくて、彼女もぼくと同じように胸もとにタオルをつけていたみたいで、Kくんがクリップを「みっちゃん」と呼びはじめたのだと思います。
 ぼくにとっては、見知らぬ「みっちゃん」だったんですが…。

 話をもとに戻します。
 正直、コロナ禍以降の在宅生活は、作業所の時間以外「ひとりでのまち歩き」を満喫していたぼくにとって、日常のちいさな出来事にこれまで体感してこなかった感情の起伏は生まれても、よく考えてみれば、最低限に生きるための日課のくり返しでしかありませんでした。
 気持ちにゆとりが持てなかっただけで、実は平坦な一日の連続だったのかもしれません。noteへの投稿をはじめるまでは…。
 だから、寝たきり状態から起こった腰痛をやわらげるためのたくさんのクッションや座布団たちにも、愛着が湧いてこなかったのでしょう。
「ピンクのまるいクッション」とか、「濃いグレーの縦長のヤツ」とか、「枕もとの赤いポーチ」とか…、だったんです。

 そうそう、枕もとといえば、ぼくを支えつづけてくれているラジオと唄を聴くための小型のスピーカーにさえ、愛称ではなく商品名で呼んでいました。
 いま、気がついたのですが、noteへの投稿だけではなく、ラジコやYouTubeをこんなに活用して暮らしているのに、ネット関連の機械や道具もタブレットやアームといったように、そのものの名前を使うばかりでした。

 ちょっと悲しくなってしまいました。

 これをきっかけに、サポーターさんたちは戸惑うかもしれませんが、愛着の湧くものには愛称を復活させることにします。

 タブレットには、ぼくの敬愛する沖縄のラジオパーソナリティーの「倫太郎さん」かな。
 パソコンは、これからチャレンジする音声認識を使っての操作などの準備と相談を引きうけてもらっている「心やさしいおじさんサポーターの部長(彼がサポーターとして訪れるようになった二十年近く前からの愛称)」にしようかな。
 枕もとのスピーカーは、ご本人の了解のもと、この投稿のはじめに実名で登場した栗岡くんの愛称「あのね」で。

 こんな具合で、毎日の暮らしにぼく流の味つけをしていこうかなぁと思った今夜でした。

これから、ごはんにします。
すこし早いですが、おやすみなさい。

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