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てるてるぼうず

 太陽の位置を確かめながら、電動車いすのバッテリーの残量を示すランプにときどき目をやりながら、ぼくは気の向くままに知らない道を適当に歩いていた。
 自宅を出てから三時間あまり、バスにも電車にも乗らず、ずっと歩き続けていた。

 あの日、ぼくは作業所をサボっていた。
声の大きなスタッフが仕切っていて、障害のある人たちはぼくもふくめて、安心してモノが言えない雰囲気だった。
公には「代表」という役職に就いていることになっていて、現実との落差にぼくの気持ちはいつも澱んていた。

 ガマンできないぐらい気が重い日は、よく親戚や友人にあの世へ旅立ってもらっていた。

 ここでひと言。
下町の住宅街の一角にある小さな作業所だから、人間関係は難しいし、みんな歳を重ねるにつれ家族さんもひっくるめて、高齢化などの課題が積み上げられていく。
 だけど、ぼくにとってはよき理解者にかこまれて、いまは「パラダイス」かな。

 バッテリーが切れて動かなくなるまで、およそ七時間、帰りは電車を使うことにして、なぜか南東をめざして歩いていたのだった。
どんどん東へ行けば、地下鉄とぶつかる。
電車にこだわらなくても、大通りに出れば頻繁にバスが走っている。
 とにかく、ゴールは決めずに行けるところまで歩きたい気分だった。

 たしか、あの日は姉に急病になってもらったような覚えがある。

 一時間ほど歩いて、ちょっとした誤算に気づいた。
南下するための橋にめぐり逢えず、道幅が狭く、ときおり横傾斜が出現する川べりが延々と続いていたのだった。

 南東という方角だけが決まっていて、目的エリアさえ考えていなかったから、ぼくの頭の中でどこの橋を渡ればいいかなんて、気の利いた予習はなにもしていなかった。
 かといって、南東という方角はかたくななまでにぼくの気持ちの中にのさばって、絶対に後戻りはしたくなかった。

 よく晴れた日だった。
朝のラジオの天気予報の降水確率も、ゼロパーセントだった。
 川べりの道はたまにダンプカーともすれ違って、それなりの気を使わなければならなかった。

 ちょっと疲れたので下り傾斜のゆるい道を選んで、酒屋や散髪屋やクリーニング屋が点在する住宅街を迂回することにした。
 太陽の位置を確かめながら方角を間違えないように歩いていると、左右にうねった旧道へ迷いこんだ。

 ちょうどぼくの足取りを待っていたかのように、ねずみ色の厚い雲に太陽が隠れてしまった。
引き返すのは気が進まなくても、このままでは方角がわからなくなる。
なんとかして川べりの道へ戻ろうと思った。

 気持ちにふんぎりがついたとき、大粒の雨が頭や肩や首筋にあたりはじめた。
ぼくは電動車いすを半回転させて、先を急いだ。
川べりの道の方が、雨宿りの場所は見つけにくい。
それでも、ちょっとパニクっていたぼくは濡れることはどうでもよくて、とにかく方角を確かめたかった。

 案外早く、川べりへ出るであろう急坂を見つけた。
ある面、パニクっているときほど「怖いものなし」に心は様変わりする。
それまでの経験からすれば、イチかバチかの勝負だった。
急坂は雨で滑りやすくなっていたし、小石にでも引っかかれば車いすごと倒れるかもしれなかった。
 急坂の上りきるあたりはさらに角度が増していて、本当にギリギリのカケに違いなかった。
 電動車いすは速度を落としながらも、川べりの道へ出るまでガンバリ通した。

 ホッとして、空を見上げた。
ぼくの頭の上だけねずみ色の雲が居座って、相変わらず大粒の雨を降らせていた。
東西南北、五百メートルほど先は雨ではなく、日ざしが降りそそいでいた。

 あのとき、ぼくは「てるてるぼうず」になりたいと思った。
真剣に「てるてるぼうず」になりたいと思った。



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