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君が僕の人生の中からいなくなってしまうなら、それはとても寂しいことだと思うんだ

 何だかあまりにも、君に対して明け透けに心を開き過ぎてしまったような気がして、それがよかったのかどうかを少し考えてしまうけれど、僕が自然と心をさらけ出せたのは君が今出し得る精いっぱいの素直さで、自然体でいてくれたからだと思った。

 そこに少なからず邪な気持ちがあろうと、それも込みで受容できるというかそうしたかったというか……いや、ごめん。僕こそ邪な気持ちがあったに決まっていた、そんなの、正直なところ初めに会った日からゼロではなかった。異性であるという時点で、よほど嫌悪する場所がない限り少なからず発生してしまうようなところもあるだろうと思うし。だから特段その他大勢と同じように、別に期待こそしてはいなかったけれど、否定はしない。ごめんよ。
 だって、君が誰に対しても公平に接する姿に多少なり嫉妬をする僕がいたからだ。そこには、邪な僕の気持ちが多少なり混じりこんでいた。たとえば独占欲のようなもの、嫉妬のようなもの。同性に対する嫌悪感やコンプレックスのようなものも相まって、彼らと親しそうに話し笑っている君を横目にみて、ああなんだ君もそうなのか、と半ば諦観するようなところもあった。

 とはいえ、想いの規模としてはそこまで大きなものではなかった。だから遠巻きに見て、落胆することもないまま諦観し穏やかでいられた。
 なぜなら自然体のままで僕は君のことを、至極純粋に人として尊敬し、好いている。その辺に転がっている盲目な恋心のように、おかしな感情を拗らせる必要性がどこにもなかったのだ。それは昨日までと今日からとで何ら変わることはない、そういう確信がある。

 友達、というのはどういうのを言うのか僕には正直分からない。しかし君のような人を友達だとか、親しい間柄だと呼べるのならば、幸せなことだと思う。そう呼びたい、きっと呼べるだろうと思えるような安心感が君にはある。

 僕と君は似ている。生きている感覚がとても近い場所にいるような。趣味や性質や思想が近い人はそれなりに見つけられても、感覚というもっともっと細かいディテールのところまで共感できるというのは、あまりいない。そういう人に出会えたということがとても嬉しい。それだけでも、君に会いにいく理由になると思っている。

 しかし、僕が見て見ぬふりをしてやり過ごしていたごくごく小さな邪さが、昨晩の僕たちに起きたことの後押しをしたような気もしている。僕たちそれぞれに、何ら一切の邪な気持ちがなかったのなら、君はあんな風に僕にもたれかかることはしなかったろうし、僕もそれを受け入れはしなかったろう。君に受け入れられて僕は、あの瞬間とても幸せだった。穏やかで温かい気持ちでいっぱいになった。君は、どんな気持ちでいたろうか。そして今なにを思うだろうか。

 ……

 一日が過ぎた。僕は、だんだん不安になってきている。純粋無垢であった僕の君に対する「好意」が、変容してしまうのが怖い。
 一昨日のできごとは僕たちにとって本当に正しかったのだろうか。君が遠くにいってしまうような気がする。いいや、元から近くにはいなかったのかもしれない。そんなに君のことを知りもしないし、君も僕のことを知らない。
 冬の寒さが堪える。暖めてもあたためても底冷えする部屋で、毛布にくるまって、ああ、君の部屋ならもっと暖かろうになどと思いながら、ただ夜明けが来るのを待った。朝が来る頃には、僕は確かに、君に会いたい、とはっきり思っていた。

 僕はただ、一時的に執着しているだけなのかもしれない。執着というのは「愛」ではないよな。君がもしかして僕を愛してくれるかもしれない。もしかしたら、僕が一方的に純粋に人として好きだと思う気持ちと同じような好意を返してくれるかもしれない。そういう期待みたいなものを強く持ち続けてしまうのが執着だと思う。それを拗らせると、依存、ということになってくる。

 期待するというのは、自分がしたことや存在に対して何らかの見返りを欲することだ。今僕が君に対して抱えている執着心の正体は、「誰かに愛されることで安心したい」「認められたい」「損得勘定抜きで愛でられたい」そういう君とはまったく関係のない場所にある、腹の底の方に凝り固まっている欲求そのものだ。もちろん、純粋にもっと「繋がり」たいという、直球なものもそこにはあるような気はするが……しかしそれらを、藪から棒に君にぶつけてしまうのはお門違いである。

 とはいっても、大概の色恋沙汰というのは、そういう底の方にある人間の欲望が露呈した結果として結びついていくものが多いような気もする。その中には人間の本能が存在していたりもするだろう。だから一概に、執着することが間違いなのかと言えばそうは思わない。あくまでそれを拗らせて、盲目になってしまうことがあまり互いにとってよろしくないことなのであって。

 話がとんでもなく飛躍しているが、僕は君に対して恋愛感情を持っているわけではない。少なくとも、今のところは。
 本当に純粋に、君のことを人として好いているのであって、君がやっていることや発する言葉が面白くてどこまでも見ていられるな、見ていたいなと思っている。歳が多少離れていることもあってか、少なからず母性が反応しているような感じもしている。ずっと穏やかに応援したいような、支えてあげたいような。
 だからあのときああなったのは、たまたまお互いの(つまりそういうことに対する)価値観が近かったからにほかならない。僕自身はかなり奔放なほうであるし、まあそのくせわりと悩みがちではあるのだが、君もわりとライトな感じに捉えているようでそこがたまたま合致したというだけに他ならない。

 じゃあ一体なにが僕の心を乱すのか。それはたぶん、出会ってからずっと穏やかだった、穏やかな関係性だと思っていた、君と僕との形が変わっていってしまうかもしれないという恐怖かもしれない。
 あまりにも明け透けに出し過ぎたのではないのか、と思ったのはきっとそういうことだろう。見せすぎてしまった自分自身を、君が気持ち悪く思うかもしれない。嫌うかもしれない。
 あれから君と会ったわけでも話したわけでもないのだから、いつものとおり僕の思い込みが過ぎるところが悪さをしているだけなのだろうが、なんであれ自分の大切だと思う好きな人たちを失うことは寂しくて怖い。つまり、君が僕の人生の中からいなくなってしまうなら寂しい、と思っている。
 
 僕がこれまで人を避けてきた理由は、こんな風に人に対して愛着を抱きやすいからなのかもしれないなどとも思う。そうにしたって、君はとても人間的な魅力のある人だと思うけれど。
 そしてここにも妄想力が働いている。いい方にも悪い方にも、僕は人を勝手に思い込むクセがある。

 もっとドライであればいいのにな。他人の言うことや行動にさほど自分に対する意図や意味は込められていない。もちろん、意図されていることも中にはあるけれど、そう多いものではないということだ。気にする必要のない程度である。あまりにきっと繊細過ぎるのだ、思考が。
 面倒くさいよな本当に。自分が一番面倒くさい生き物だ、と思うよ。生真面目に考えすぎだ。何度呆れても、やめようと思って辞めれられるモノでもないから仕方がないけれど。

 だってね、君は僕の人生の一幕の一部を彩ってくれていると勝手に思っているのだけれど、君にとって僕が、君の人生の彩りとなっているかどうかは分かり兼ねるのだから。同じならいいのに、と思うだけであってね。

 こうして書き出して、不明瞭な目の前の靄をクリアにしていくしかできない。喉のつかえをとるために水をたくさん飲んできれいな空気を呼吸するしかできない。君の心の中を垣間見ることはできないのだから、せめて僕が僕自身の心模様を開示していくことだ。

表現は続く。


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