なぜ人は成功者ほど「品行方正であれ」と願うのだろうか#66
こんにちは。わくわくらすです。
書きたいように書いていたら、思った以上に文字数が多くなりました。タイトルのことについての考察は目次「品行方正を願う人」から書いています。その前は長めの前置きになっていますが、興味のある方、時間のある方は見ていただけると嬉しいです。
おもしろいイラスト
おもしろいイラストを見つけました。
私は初めて見たのですが、調べるとそこそこ有名なイラストであるそうですね。メディア(テレビや雑誌、新聞なんかのイメージ)の切り取り方次第で、被害者と加害者が入れ替わることがあるということを視覚的に表したすごいイラストだと思います。
青森山田高校サッカー部黒田監督へのバッシング
切り取り方と言えば、先日全国高校サッカー選手権が開催され、準優勝となった青森山田高校サッカー部の黒田監督に対するバッシングがありました。バッシングの内容とは、黒田監督が相手選手のスローインの邪魔をしたのではないかということやグラウンドに向かって唾を吐いたことなどからマナー違反ではないかという指摘が相次ぎました。
一時期Twitterのトレンドにもなり、「監督としても教育者として最低だ」「最近結果が出ていたから驕っていたのだろう」「こんなチームが優勝しなくてよかった」といったツイートがありました。
そんな黒田監督があるインタビューでこの指摘について答えた記事がありました。
上記の記事を見ていただけるとわかると思いますが、スローインを邪魔したという件については誤解であり、ボールがアウトした場所から黒田監督自身は離れていたこと。投げる相手選手がボールアウトした場所よりも青森山田ゴールに近い方に寄っていたこと。スローインをする選手から一言あれば避けていたということがインタビューからわかりました。
グラウンドに唾を吐いた件については、見苦しい映像を見せてしまったと謝罪をしています。そもそもうがいのために水を口にしたらしく、そのうがいをした水を飲むことは衛生的にも医学的見地からも避けるべきと考え、グラウンドに吐いたと言っています。
サッカーを経験した人は理解があると思いますが、割とグラウンド上で唾を吐くことは日常的にあります。もちろん、一般の方からすると見ていて気持ちのいいものではないと思いますが、サッカーにおいては珍しいことではないと私は理解しています。(もちろん、だからといってしていいとは思っていません。)
きちんと自身に対する指摘を飲み込んだうえで、認めるところは認め、誤解の部分は否定する。内容はともかくこのような行動をした黒田監督は素敵だと思いました。
品行方正を願う人
さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回の件に限らず人は「成功者であるほど品行方正である」ということをなぜか信じていますし、求めていると思います。
成功者をもう少し細かく分類すると、芸能人やアスリート、特定の分野で認められている黒田監督のような人のことと定義します。
元オリンピアンの為末大さんもあらゆる場所で、アスリートは自制心があったり、向上心があったりすると言われがちだがそうでもない人も多い、と言っています。
私たちは例えば日本代表になるようなアスリートは常に練習をしていて、練習以外の部分でも競技のことを考えていると思いがちです。
以前ある記事で見たのですが、まだSNSがそこまで普及していないときからブログで発信していたアスリートがある投稿に「ブログ書いている暇があるなら練習しろ」と書かれていたそうです。コメントを見てこのアスリートは何とも言えないモヤモヤを抱えたそうです。
私は人の深層心理に「成功者は自分より努力し、人間として完成されているから成功者なんだ」という一種の思い込みがあると思います。
つまり成功者は「自分よりも崇高な人間だから成功している」と考えている部分があるのではないでしょうか。
崇高な人間=品行方正でなくてはならない。こんな図式ができているように感じます。
自分よりも崇高な人間だから、自分はあそこまで成功できないんだと一種のあきらめのようなものを感じていると思います。そうやって自分を納得させているのです。
それを信じているがために、崇高だと思っていた人間が実は自分と何ら変わらない存在だとわかったときに人はバッシングをするのではないでしょうか。自分と変わらないのにあれだけ成功するのはずるいぞと言わんばかりに。
成功者は「子どもの(人の)模範であれ。」こんな感覚が日本人には特に強いのかなと思います。もちろん模範として頑張っている成功者はたくさんいます。でもその人たちに模範であれとか、品行方正であれと勝手に期待しているのも人間です。期待とは順調なときは期待している自分に間違いはなかったと優越感に浸れますが、炎上や不倫などでその期待が裏切られると一気にバッシングが始まります、
まさに昨日の味方は明日の敵と言わんばかりです。
私は教師をしていた経験もあり、割と子どもの模範であれと言われてきた人間だと思います。でもやっぱり苦しかった記憶があります。教師であろうと1人の人間なんだからそんなに期待されても…と。
黒田監督へのバッシングを見て、なんだか妙な親近感を覚えた教育関係者は私だけではないと思いました。あ、私はもう教育関係者ではありませんが。
お読みいただきありがとうございました。
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