見出し画像

間違った自己肯定感のあげ方#60

こんにちは。わくわくらすです。

昨日、1月7日に東京を始めとした1都3県に緊急事態宣言が発出されました。報道を見る限り、関西圏も宣言を要請していくとのこと。どうか、少しでも感染拡大を防ぐきっかけになってほしいと思います。

自己肯定感という言葉は、もはや誰もが知っている言葉の1つになりつつあります。それと同時に自己肯定感のあげ方を記した本や情報は世の中にたくさんあふれています。

どんな方法が自分に合っているかは実際に試すのが1番だと思います。きっと人によって様々でしょう。

しかし、逆に間違った自己肯定感のあげ方もあると思います。「他者を下げて自分への肯定感をあげた気になる」ということは間違った方法の1つだと思います。

例えば、嫌いな人やライバルの失敗を願い、足を引っ張ることでそれを実現させようとするやり方。これは他者が自分と同じ位置に来たことで、自己肯定感をあげる方法です。自分より上にいると思っている人が自分の位置に来ることで、自分が上になったような錯覚をします。もちろん、自分は何一つ成長してません。

だからといって、嫉妬や羨望をなくした方が良いということではなく、自分が成長するためのエネルギーとしてそれらを使えるようになりたいものです。


少し背筋が凍るような話を聞きました。コロナの影響で過度に自粛を求める人。俗にいう「自粛警察」と呼ばれる行いをしている人の本当の願いは何か。

それは「今まで以上にコロナが蔓延する世界」を願っているのではないかということです。(もちろん、全ての人ではありません。多少オーバーな考えとは思いますがみなさんにお伝えしたいと思いました。)

自粛を過度に要求する人は、自粛をしない人が憎くてたまりません。「なぜ出歩くのか」「会食は危険と言っているだろう」「自分はこんなに我慢しているのに」といった感じです。

では、自粛を過度に要求する人が自分の考えは間違っていない、と自己の考えを強化できるときはどんなときでしょう。

そう、「自粛しない人がコロナにかかるとき」です。

「そら、見たことか!」「自業自得だ!」と言えてしまうのです。

私はこの考えを聞いてぞっとしました。もう一度言いますが、自粛を要求する人がみんなこうだとは思いません。でも、なんだか自分の中でつじつまが合ってしまったのです。

自分の考えや意見、自己肯定感を満たしたいがために他者を下げるような行動は避けるべきです。仮にそれで自己肯定感を満たせても自分は何1つ変わっていません。

間違った自己肯定感は後に罪悪感を引き起こします。なんであんなことしたのだろう、自分が嫌になるといった気持ちが芽生えます。

こんな時代だからこそ、他者にも自分にも寛容な世界を目指していくべきではないでしょうか。

お読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?