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「大丈夫だよ、と言ってあげたい」不登校のイベント無事終了。「10年後は笑っている」に勇気をいただきました。

昨晩行ったオンラインイベントは、私のオンライン授業の最初のお客様である、島根県隠岐の島の都万中学校の校長先生にスピーカーとして来ていただいた。弊社は精華学園通信制高校錦糸町校の 親子の学びアドバイザー を拝任している。(なんか、表現がレジェンドな大企業のようになってしまった、、、)

実はデンマーク株式会社が行う初授業「しあわせってなに?」のコンテンツのサポートをおこなってくださったのが渡部正嗣先生 だった。私が大人向けにお話をしているデンマーク留学見聞録を中学生向けにアレンジしてくださったのだ。今や、その授業は、小学校から外資系IT企業の新人教育にまで利用させていただいている。著作権?は私にあるかもしれないが、組み立て直していただいたあの内容がなければ、あんなにたくさんの子どもたちのびっくりした顔を見ることができなかっただろう。

私たちは初授業であることもあり、何がなんでも生徒のびっくりした顔を見たいという思いから、先生とは3.4回ミーティングをさせていただいた。授業の採用前、採用決定後、リハーサル、振り返り、、、ミーティングを重ねるごとに、お互いのプライベートなお話も増え、渡部先生とご家族が10年前には不登校のお子さんと一緒に壮絶な日々を送っていらっしゃったことを知った。そんな時、行動が先の私は、「不登校のイベントに出ていただくことはできますか?」と。「私や娘の経験が誰かの役に立つのなら、ぜひ登壇させていただきたい」と。それが昨日実現した。

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「10年後には笑っているから、大丈夫ですよ」

話はここから始まった。親として、夫として、教師として、そして今は校長として。その時に親として学校に感じたこと、教員の立場から親の立場になってからわかった不登校のこと。オンラインイベントがたけなわのコロナ時代、申し込みの95%が参加というイベントは私も初めてだった。イベントが始まる前にもうたくさんの人が待機室に集まっていたのも、これまでにはない状況だった。これは、不登校で悩んでいる人がとてもたくさんいること、情報を欲していることを裏付けている。参加者は小学生、中学生、高校生、保護者、教員、退職された校長先生、教師を辞めて不登校時代を改善したいNPO代表、、、本当に多くの方が集まった。

全員の思いは一つ、不登校になった生徒は悪くない、これに尽きる。

・親としての(子供への)欲望がなくなった、諦めた時、娘に「学校なんて行かなくて良いよ」と初めていうことができた
・娘を信じるということ
・「教員のお子さんが不登校なんですか?」と言われるつらさ
・親の役割は、子供に対して選択肢を提供すること。子どもが行動を決断すること(親は信じる、と、子は自己決定、がセット)
・学校や担任の先生は良かれと思って様々な対応をしているが結果としてどうなのだろう?
・教員の人間力が試される事象が不登校対応
・不登校の生徒は ”ただいま成長中” と考えて欲しい
不登校は生徒指導上の問題として数値で扱うのではなく、人権教育上の課題であることを認識する必要がある

フリートークの時間に、ある教員の方の不登校の生徒さんの経験をお話しいただいた。「私は、不登校はその生徒個人の問題ではなく、多様性を受け入れられない学校側の問題だと思うんです」と。的を射た言葉に息が止まった。

オンラインフリースクールの代表は「子どもが学校に行かない価値観」を認める社会が必要だというお話をくださった。本当にそうだと思った。ホームスクーリングが制度としてある国はいくつもある。

「子どもが学校を休んでいるのに学校新聞や給食便りが家庭に届けられるのが辛かった」という話には、「届けなかったら、届かないのが悲しい、という保護者があって現場の教師も辛いのだ」という意見もあった。つまり、心の中は人・家庭それぞれなのに、対応策は通り一遍のものになっていることが伺えた。学校や先生が悪いと言っているのではなく、どう改善したら、子どもたちがスクスク育つ学校現場になるにはどうしたら良いものか?たくさんの事例が共有されるだけでも、ほっとできたり、誤解を解いたりする場ができるのではないか、と思った。

多くの人から、子どもに「学校に行かなくて良いよ」という勇気が出ない、という意見が出ていたし、「不登校者を0人にするためにどうしたら良いか?」と考えている学校も少なくないと。不登校を問題とするならば、解決のゴールはなんなのだろう?今は「学校に行くことを再開する」ではないのではない気がする。

私も自分の子には「嫌なら行かなくて良いよ、学校」と言う勇気がなかった親の一人だ。息子が学校生活をうまく送れない兆候が出て来た時には、本人の大きな心の傷になる前に海外逃亡を勧めた。当時息子は退学して通信制高校に行くのは嫌だと言った。たまたま海外進学を決断した彼は、少し回り道をしながら、仲の良い友達が大学生になったのに、まだ高校生をしているが、あまり気にしている様子はない。

今なら言えるかもしれないな、学校なんか行かなくて良いよ、って。大学進学も、本人が自分で決めたら良い。行きたければ行けば良いし、行きたくないならやりたいことをやれば良い。(しかし、本当にそんな時がきたら、そう言えるかの自信は揺らぐ。)

会社は自分で辞めることができるのに、学校は辞めるのは悪いことのように思われている。行かないことも同様だ。それがアタリマエだったが、時代が変わり、学校の役割も変わって来た。

まずは、不登校という名称を変えることが優先な気がする。学校に行かない選択をしたのには理由があるのだ。最初の一歩を踏み出したと理解して欲しい、と不登校経験者(今は立派な大人)から聞かされたことがあり、大きく納得した。


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