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子どもが「高校を辞めたい」と言った時にどう反応・対応するか?

先ほど、かしわもちをいただいた。息子しかいないので、ひな祭りはやっていない。五月人形を飾りはしたものの、端午の節句というほどのこともしていない。兜を飾り、菖蒲を活けて(花瓶だけど)、かしわもちを買ってきて食べた、というところまでである。

子どもが「辞めたい」と言った時

思えば、我が家の場合は、彼が辞めたいと言ったのは、もしかしたらイギリスの高校を辞めるときだけで、それ以外は自分から「辞めたい」と言ったことはなかったかもしれない。(あとで、本人に聞いてみよう)いろんな習い事をやったが、どれもいつの間にか辞めている。一番1箇所で続いたのは、英会話教室かもしれない。小1(保育園の年長の1月から体験レッスン)から中3まで続けることができたのは、先生の忍耐強さと「英語が子どもたちの人生を大きく助ける」ことの真剣さが子供達に伝わっていたのだと思う。

せっかく書いては見たものの、自分から「辞めたい」と言ったものがどうもない。スイミングスクールも、本当に幼稚園児と小学校3年生が一緒に泳いでいるみたいな感じだったのに、辞めたいと言わない息子であった。なぜ辞めたくなかったんだろう?

イヤイヤ塾に行っていた時も、辞めたいとは言わなかった。その代わりに、授業中はいつも気持ちが散漫だったし、何よりも円形脱毛症になって体が訴えてきた。

高校一年(日本)の時は、学校に行く途中、というか、学校の駅を通り過ぎて江戸川区のスーパー銭湯に友達と行ってしまい、遅刻して学校に行ったら、自宅謹慎になり、学校に行けなくなった。そのあとは、保健室まではきても良い、という不思議なルールで学校には行ったのだが、教室に入れない、という状況だったのだが、それでも辞めたいと言わない息子だったので、これも私が辞めることを促した。

ビーバースカウトも軟式少年野球、ストレートに、遠回しに、辞めてくださいと言われたが、本人が辞めたいと言ったものではない。

なるほど。こどもによっては「自分で辞めたいと言える子」と「態度に示す子」「周りを動かして、自分が辞めざるを得ない状況を作る子」などなど様々いるということか。

書き始めたものの、どうも誰の参考にもならないことばかりだ。もしも、うちの子のように、自分からは辞めると言わないのだが、色々辞めざるを得なくなっているというご家庭があったなら、案外心配することはない、とは言えるかもしれない。結果として、「辞めること」を実行しているからだ。

辞めることは悪いことではない

一つ言えることは、辞めることは別に悪いことではない、という理解も必要だと思う。日本人は(他の国のことはあまり知らないから)、始めたら諦めるな、みたいなところがある。最近は違ってきているかもしれないが、「やってみて、どうも合わないな、と思ったら早めにやめて、次のことをスタートする」というマインドセットもあって良いと思う。これは私が経験してきたから言えることかもしれない。自分自身については、失敗しない程度のことをどんどんやってきて、小さな道を選んで進んできた気がする。新しく道を切り開くことはやってきていない。これは、辞めることをしてはいけない、との思い込みがあったから、あえてtryしてこなかったからである。これは自分のこととして大いに反省している。何でもかんでも辞めて良い、という話ではなく、辞めることも選択肢の一つと考えようということだ。

辞めることは失敗ではないし、失敗は悪いことではない

不登校も含めて、だが、辞める、行かない、方向を変える、という決断は悪いことではないし、やってみて失敗して、やり直す、新しいことをする、のも良いことであり、悪いことではないのだ。日本の風潮の中で、失敗しないように、小さな成功の方が失敗よりまだマシだ、みたいなものがあり、それが人間の成長の足を引っ張っているように思う。わかりやすい例が高校受験や中学受験だ。頑張って、ちょっと難しいところを受験して、落ちたら責められたり、笑われたり、誰も何も言わないのに落ち込んだりすることがよくある。頑張ってやってみたのだから、受験に失敗しても、誇れることはあっても恥ずかしがる必要は皆無なのである。それなのに、自分を責めたり、親が子どもを責めたり、周りが頑張りが足りなかったとか、いうのはおかしいと私は思う。何かが足りなかったかもしれないけど、本人がそれをわかっているし、受験で合格しなくても、人格を否定されるものでもないし、運もあったに違いない。ましてや、21世紀の今の時代でも、「女の子は地元に、そんないい大学行かなくてもいいよ」みたいなことを言い含められるような地方がまだまだある日本では、本当にやりたいことを「やってみたい!」と思うことまでを子供達に躊躇させてしまう。

そんな日本を、この時代を早く変えたいな、と思って、雑文を書いている。

本当に失敗を恐れて、小さな小さな成功をかき集めながら生きてきた自分を、今からでもなんとかしたい。

そんなことを思っている母を見ていて、息子は伸び伸びと育っていったのかもしれない。(周りのたくさんの大人や友達、父親、彼の祖父母の影響も多くあるだろう。良い人たちが周りにたくさんいてよかったね)

さて、結論のない文章になってしまった。申し訳ありません。



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