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障害は、その人じゃなく社会にあるもの

去年の3月まで8年間、乳幼児から高齢な方まで地域の幅広い世代の人々が気軽に集まれるコミュニティスペースを運営するNPOに勤めていた。

勤務し始めてすぐの頃。
拠点である施設は、スロープや多目的トイレなどバリアフリー対応だったので、障害者の方々にも是非足を運んでほしいと思ったが、チラシを作る私の手が止まった。

『障害者』という表記に引っかかったからだ。

『障害者』だと、害があるみたいだから『障がい者』や『障碍者』と表記する風潮があるのは知っていた。
『体の不自由な方』と表記した方が柔らかい印象になるかな?とも悩んだ。

福祉の仕事をしている夫に相談したら、こんな言葉が返ってきた。

「『障害者』でいいんじゃない?
 でも、障害があるのは、その人じゃなくて社会の方だと俺は思うよ。

その言葉を聞いてハッとしたと同時に、私は一人の友人のことを思い出していた。



まゆと初めて出会ったのは、2009年 関西国際空港のロビー。
中国の内モンゴルにある沙漠での、9泊10日の植林ツアーに参加した時だ。

生まれつき脳性麻痺のまゆは、杖を片手に集合場所に立っていた。

正直にいうと、彼女を初めて見た時、
(えええ?! 植林とかできんのかな?! 大丈夫なん?!)
って思った。

でも、おしゃべり好きで人懐っこく、誰にでも笑顔を絶やさない彼女とは、年が近かったこともありすぐに仲良くなった。

沙漠について、いよいよ植林。
まゆは、両膝で地面に踏ん張り、両腕を肩から大きく動かし、文字通り全身を使って木を植えていた。

「記念に1本植えました♡」なんてもんじゃない。
何本も何本も、休むことなく沙漠に木を植え続けていた。


日本でも、調子が悪い時は車椅子で生活しているというまゆ。
調子が良い時だって、外出の際に杖は手放せない。

それなのに、なんと富士山に登頂したり、ホノルルマラソンの10kmウォークを完走したりと、様々なことに挑戦し続けているということを後から聞いた。

まゆは、私なんかより何倍も何十倍も努力し行動する人だった。


彼女が木を植える姿を見て、関空のロビーで(植林とかできんのかな?!)と思った自分を恥じた。

***

毎日、植林の合間の休憩時間は、みんなで砂丘の上で押し合って転げ落ちては、沙漠に笑い声が響いていた。

その光景を、まゆは一緒に笑いながら、でもどこか寂しそうに、座って見ていた。

誰も、まゆのことは押さなかった。


まゆと共に生活して数日経ったある日。

(もし、思いがけない怪我や、身体に影響があったらどうしよう)という葛藤はあったが、
結構ハードな運動でも平気そうなまゆの様子を見て、
私は思い切ってまゆを砂丘の上から「えいっ!」と押してみた。

転がり落ちる彼女を見て、周りの仲間たちは
「まゆーーーーーー!!!」と悲鳴のような声をあげた。

でも、まゆは、転げ落ちている間も、落ち切った後もずっと、ずっと笑っていた。

「楽しいーー!!楽しいーーー!!!」と、顔も体も全身砂まみれになりながら、
初めて遊園地に来た子どものような、クリスマスツリーの下にあるプレゼントを見つけた子どものような、キラッキラの笑顔で、ずっと笑っていた。

いつでも笑顔のまゆだけど、あの時の笑顔は忘れられない。

その様子を見てからは、周りのみんなもまゆと押し合っては一緒に笑っていた。


その日の夕食の際、
「私のことを突き落とす友達なんて、みぃやが初めてだよ!笑」とまゆに言われた。

「でも、それが、めっっっちゃくちゃ嬉しかった。」とも。


日常生活の中でも、本当は自分もやってみたいけど周りに遠慮して言えないことや、周りの友達は普通にやってるけどなかなか挑戦できないことがたくさんある、とまゆは教えてくれた。

その後、まゆの部屋に行って『やりたいことリスト』を一緒に作った。

・ 肩車をしてもらう
・ 岩盤浴に行く
・ 浴衣を着てお祭りに行く
・ プールに行く
・ 目的もなく、ぶらぶらお買い物を楽しむ
・ おしゃれカフェでランチする…などなど

それらは、私にとっては当たり前にしてきたことだった。
なにも特別なことじゃない。
まゆの大学の友達も、普通にしていたことだろう。

大学の友人たちが
「この前〇〇に行ってきてさ〜」と普通に話す会話がすごく羨ましかったと、
でも「今度、私も連れて行って」と言う勇気はなかったと話してくれた。


私は医学の知識は全くないし、今までまわりに脳性麻痺の友人はいなかったから、『やりたいことリスト』の全てが実現可能なことなのかはわからなかった。
もしかしたら、まゆの身体に悪影響なこともあるかもしれない。

だからと言って諦めるのではなく、担当のお医者さんに確認しながら、出来ることは全部やろう!と約束をした。



翌日、内モンゴルにいても実現可能そうな『肩車をしてもらう』に早速トライした。

まゆの股関節は硬く、重心のバランスがうまく取れなかったりという理由もあって、子どもの頃も両親に肩車をしてもらったことはなかったそうだ。


私とまゆは、長崎出身の友人に「肩車してくれない?!」とお願いしてみた。

その友人は「よかよ〜」と言うと、ひょいっとまゆを持ち上げ肩に乗せた。
20年来の夢が、一瞬で叶った。

多くの人がこどもの頃にしてもらうだろう肩車を初めて体験したまゆは、まるで空飛ぶ絨毯にでも乗ったかのように興奮し喜んでいた。

まゆのとびっきりの笑顔を見て、私は泣きそうになった。

まゆは、今まで一体どれだけたくさんの我慢をしてきたんやろう。


こんなにもチャレンジ精神旺盛で、私なんかよりも何倍も何十倍も努力家で、
どんなことにも前向きに挑戦するまゆだけど、

自分がやってみたいけどなかなか言い出せないことがたくさんあるんだなって気付かされた。



それまで、ビュッフェ形式の食事の際は、私や他の友人がまゆの分の食事も用意していた。

「何食べたい? 取ってくるから、座ってていいよ」と。

まゆが少しでも楽になればいいなと思ってしていたことだった。


でも、その日の食事の際、私はまゆに言ってみた。
「まゆも一緒に取りに行く?」

まゆは、驚いたように、
「え?!行っていいの?!」と言った。

「もし、まゆがしんどかったら、取ってくるから座ってて。
 でも、まゆが自分で取りたいんなら、一緒に行こ。」

まゆは、
「行ってみたいけど、私が取るとこぼすかもしれないし、時間もかかるし、みんなやお店の人に迷惑かけちゃうかも…」
と言ったが、

「こぼしたら拭けばいいし、もし時間なくなったら急いで食べよ!」と言うと、

まゆはまた、あのキラッキラの笑顔で、自分のお皿におかずを乗せていった。

私は、あんなにも嬉しそうに、大きなスプーンで麻婆豆腐をすくう人を見たことがない。


「その人のために」と思って今までしていたことが、その人の望むことじゃないという可能性があることに初めて気付いた。

まゆが欲しかったのは、
「座ってていいよ」じゃなくて、
「まゆも一緒に行く?」の一言だった。

その後の内モンゴルでの食事の際、
まゆは自分の体調に正直に、
「取ってきてもらってもいい?」と言うこともあれば、
「一緒に行く!」と喜んでおかずを選ぶこともあった。



帰国後も、同じ関西に住んでいたまゆと私はよく一緒に遊んだ。

そして、約束通り『やりたいことリスト』を一つ一つ実現した。

お医者さんに確認したうえで岩盤浴にも行ったし、
浴衣を着て天神祭にも行った。

大阪の巨大温泉施設・スパワールドにある屋内プールでは、ほぼ90度に落下するスライダーなども全力で楽しんでいた。

京都でぶらぶら買い物をしたり、おしゃれカフェにも行った。
お互いの家でお泊まりもした。

私が石巻に移住してからは、石巻にも遊びに来てくれた。

まゆは、他の友達となんにも変わらない。

将来の夢をアツく語り、恋バナでキャーキャー言う、普通の女の子だ。
ただ、脳性麻痺なだけ。


でも、その『脳性麻痺なだけ』ということが、まゆの選択肢を狭めていた。

まゆ自身にはなんの問題もないのに、社会の方がそれを受け入れられていない。


京都の街をぶらぶらしていた時、車椅子だと通れない場所がたくさんあった。

お店の中に入ろうにも、ちょっとした段差や通路の幅によって入るのを諦めたお店もたくさんある。


『おしゃれカフェでランチ』を実現するにしても、
私とまゆとでは『おしゃれカフェ』の選択肢の数が全然違う。

それは、まゆの問題じゃない。
まゆの責任じゃない。

まゆに障害があるんじゃない。
誰よりも頑張り屋なまゆに、障害なんてあるわけない。

まゆは光だ。希望だ。
まゆの言葉や行動が、どれだけ多くの人に勇気を与えるのか。

障害があるのは、まゆが力を発揮できなかったり、我慢しなきゃいけない社会の方だ。

まゆという、魅力溢れるすてきな女の子の可能性を狭めている社会の方だ。

そして、関空のロビーで(植林なんてできんの?!)と思ってしまった私の心の中だ。


まゆは、私に大切なことを教えてくれた。


身体の機能の違いによって、『障害者』とくくられて呼ばれなくていい社会になるよう、

身体の機能の違いによって、選択肢や可能性が狭まることのない社会になるよう、

まゆのような、溢れんばかりの輝くパワーを活かせる社会になるよう、


そして、同じ社会を目指す人が増えるよう、

心から願うと共に、私なりの方法で動いていこうと思う。




2016年、久しぶりにまゆに連絡を取ったら、まゆは記憶を無くしていた。

私と出会う前にも二度記憶を無くしたことがあると聞いていたから、さほど驚かなかったけど、その私の反応にまゆの方が驚いていたと共通の友人から聞いた。笑

7年分の私との思い出がすっぽり無くなってしまったにも関わらず、今でもこうして友人でいてくれて、noteに掲載することを快く許可してくれたまゆに、心から感謝します。

まゆ、いつもいつも本当にありがとう。
これからもよろしくね♡

まゆのnote『近藤麻友美 officialブログ』


まゆのYouTube『まゆとごうしの日常』




ここ数年、様々なメディアなどでも「障がい者」と表記されることが多くなった気がする。


けれど、NHKでは明確な理由で「障害者」を使い続けているそうだ。



それは、「障害」はその人自身ではなく、社会の側にある。

障害者=社会にある障害と向き合っている人たち、と捉えているからとのこと。


障害者支援団体や、本人、家族も、「障害者」という言葉を使っているのをよく目にする。

表記ひとつとっても、いろんな思いに触れることができるなあと感じた。

最後まで読んでくださりありがとうございます。 ほんの少しでも、あなたの心に響いていたら嬉しいです。