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「チート化する社会」という不可避な不幸が、そこまで迫っている(もう訪れている)のではないかという話

昨晩はPLANETSCLUBで、山口揚平さんに特別講座を開いてもらった。ベースになるのは彼の新著『3つの世界』で、講座では本書の概要の解説から収録しきれなかった議論(もとの原稿は本の数倍あったらしい……)のエッセンスを補う、というものだったのだけれど、今日は一晩明け、この講座を経て僕が考えたことについて書いてみたい。

そして結論から述べてしまうと、僕はこの国は当面、社会に対しての信頼性が極度に低下し、正統な手続きを経て社会を変革するよりも個人がその生存戦略のために「チート」的なアプローチを試みるというスタイルが主流になる(可視化されていないだけで、もうなってる)のではないかと考えている。

「いや、お前は今更何を言っているんだ」と後出しジャンケン的に自分を賢く見せたいタイプの人(SNSで発言したがる人には多い)はドヤ顔で言うかもしれないが、ある状況が進行していることとその構造が可視化され、プレイヤーのほとんどが他のプレイヤーもそれを知っているという前提で行動するようになるのとでは、まったく起きることが違う。

SNSが可視化する前からメディア上の情報はポジショントークとセルフブランディングに溢れていたけれど、SNSが全員を発信者というプレイヤーにし、その構造を可視化した結果、今日のアテンション・エコノミーは成立している。

たとえば『テラスハウス』の木村花さんの事件での、ユーザーとメディアとプラットフォームがそれぞれ他の二者に責任を押し付け合うような状況は、情報操作と動員のメカニズムが可視化され、それを誰もが簡単に把握しているからこそ起きた現象だ。

同じようなことが、この国の民主政治や、資産形成や自己実現といった、基本的な人生設計のレベルで起きる(もう進行している)。

以前、きちんとものを考えている30代が、とりあえず自分の子供を海外に「逃がす」ことを考ている……ということを書いたと思うのだが、同じような思考がこのさき、あらゆる分野に拡大する(もちろん、それはとても不幸なことだ)だろう。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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