「庵野秀明的なもの」の可能性と限界から「オタク的な感性」のポジティブな応用を考える話
さて、今日は昨日の話の続きだ。
今日は「オタク」という文化にどのようなポジティブな可能性があるのか、ということを考えたい。当たり前のことだけれど、こういうことを考えるときに「クールジャパン」を誇り「偉大な日本」をでっち上げて自分がそれに同一化してショボい人生をごまかすとか、逆に「オタク」を敵視し、その駄目なところをあげつらって「サブカル」な自分を(自分たちのことは棚に上げて相対的に)免罪するといった低レベルな問題意識ほど邪魔なものはない。そのレベルの人たちは、なんというか、回れ右をして中学校の社会科の教科書から勉強し直してほしい。
さて、僕がこのようなことを急に論じ始めたのは、先週の日曜日に単向街書店のイベントで中国の若い研究者とこの問題について議論したからだ。それは庵野秀明についての議論で、要するに『シン・ゴジラ』的なアプローチと庵野秀明を、2024年の僕はどう評価するかを問われたのだ。
結論から述べれば、このnoteを読んでいる人には既に知らてているだろうが『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を僕は(下記の文章にあるように)全く評価しない。
しかしその一方で庵野秀明という作家が体現し、表現してきた「オタク性」には、戦後日本が結果的に培ってきた文化のなかの良質な部分が継承されていることは間違いなく、そのポテンシャルをどう引き継ぎ、発展させていくのかということはとても大事なことだと僕は思う。
では、ここで改めて庵野秀明の現在地を整理しよう。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を僕が評価しない理由は、要するに「政治と文学」の問題が放棄されている、という問題に尽きる。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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