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「オープンな魔女狩り」か「クローズドなイジメ飲み会」かの二択からインターネットを解放することが必要、だという話


今日はちょっと僕が個々数年悩んでいること……を改めて考えてみたいと思う。僕の中心的な仕事は文化批評、特に作品評なのだけれど、この10年でずいぶんと書きづらくなったな、と思うことが多い。いや、「政治的な正しさ」ばかりを求められて、表現そのものへの読者の関心が低くなっている……というのはもちろんそうなのだけれどそれは現象面のことで、もうちょっと深いレベルで起きていることがその根源にはあるように思うのだ。

ものすごく嫌な言い方になってしまうけれど、要するにいま、特に評価されるべき実績がない人がプライドを保つために一番「コスパ」「タイパ」がいいのは、「みんな」が叩いている人を叩くことだ。そうすると手っ取り早くある程度の「いいね」や「リポスト」が稼げる。もし、その袋叩き大喜利で、たくさん座布団をもらえて、その人がかつ職業的に「発言」することにメリットがある人(商業ライターだったり、経営者だったり、政治家だったり)すると、その座布団はプライドや承認欲求だけではなく、金や票にもかなり直接的に結びつけることができる。

この状況下ではどう考えても常に話題になっていることに言及し、タイムラインの潮目を読み誰かを攻撃し続けることが、ほぼ定石のSNS「攻略」方法になる。その弊害を僕はずっと指摘しているのだけれど、ちょっとこの流れはほとんど不可逆の変化なのではないか、と最近強く感じるのだ。

そして厄介なのは「じゃあ自分たちだけの、自由に議論ができる聖域を作ろう」という運動こそ、イジメとハラスメントの温床になりがちだということだと思う。実際に表向きはそう謳っている人たちが、裏では陰湿極まりないコミュニケーションを取っていることはすごく多い。たとえば僕の関わってきた批評とか思想とかの世界の一部ではすっかり、欠席裁判文化が定着している。ボスがいて、取り巻きの若手がいて、ボスの嫌いな人の悪口を言うとボスが機嫌よくなって、いい仕事がもらえる。 そしてそれを動画中継とかして「いじめ」の快楽を視聴者と共有して換金していく……といったどうしようもなく醜悪なビジネスがはびこっている。

要するにオープンな場(グローバルなプラットフォーム)は、「他人を貶めること」のコスパ(タイパ)が上がりすぎ、ほぼ議論が機能しなくなりクローズドな場(ローカルなコミュニティ)は教祖が次から次へと攻撃対象を指定して「いじめ」で求心力を維持する最悪なムラ社会になる。要するに、公開魔女裁判か、ムラのイジメかの二択になってしまっているのだ。

ではどうするか……ということを僕はこの数年、いろいろ考えて、試してきたのだけどなかなか答えは見つからない。失敗したことも多い。しかしその上でいま、考えていることがいくつかある。それは以下の3点だ。

1.今のインターネットで「誰かを攻撃してポイントを稼ぐ」売名をしている人(動員する人)と、それに乗っかって承認欲求を稼いでいる一般読者(動員される人)とは決定的に距離を置く。根本的に読者(観客)を変える

2.その上で、文化や言論の経済を回す

3.カリスマ的なリーダーやブランドはむしろ不要

まず(1)について考えたい。前者=「誰かを攻撃してポイントを稼ぐ」売名をしている人(動員する人)は問題外で、正しく軽蔑することが重要だ。これは僕が仕事をする相手を選ぶときに一番大事にしていることだ。

後者=それに乗っかって承認欲求を稼いでいる一般読者(動員される人)は実力とプライドが釣り合わないのを他虐で埋めようとしてる人なので、やはり基本的にかかわるべきではないと思うのだけれど、啓蒙を諦めてはいけないと思う。

では、アテンション・エコノミーから距離を置き、(1)の人びととも距離を置いたとき、商業的にそれが成立できるのか、というのが(2)の問題だ。これについては、おそらくB2Cだけを考えていると難しいだろう。ある程度B2Bに依存したモデルにならざるを得ない、というのが僕の結論だ。そして、ここが重要なのだが、かといって特定の企業との取引がなくなると成立しないモデルにもするべきではなく、ある程度はB2Cでユーザーからの直接課金を資金源にするほかない。要するに、文化的なことをB2Bのモデルだけでやろうとすると、その先にあるのはオリンピックや万博に加担する大手広告代理店のルートで、それはほとんど存在価値がない、とすら言えるだろう。かといって今、B2Cだけに依存すると選挙のたびに後出しジャンケンで「だからリベラルはダメなのだ」と負けたほうを攻撃して、自分を賢く見せたいコンプレックス層に課金させる……といった極めて卑しいビジネスが待っている。

そしてさらに重要なのが(3)で、やはり個人に依存したモデルは脆弱だし、カルト化のリスクが常に伴う。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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