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「第四極」という思考実験


さて、今日は「第四極」という思考実験をしてみたい。

まず前提を確認したい。当面、この国SNS言論空間は左翼と冷笑、ナルシストとコンプレックス層が100年戦争的に足を引っ張り合う結果として、昭和的、自民的なものが漁夫の利的に生き残りつづけるだろう。成功したグローバルな経済人(笑)な人たちがリジェネラティブな社会の構築、とか言いながらキラキラした環境保護運動とか地方創生にコミットして、なにかいいことをした気になる一方でそして同じ社会の一員の弱者のことは、国内政治への無関心によって基本的に「放置」する……。こうして「昭和」がしぶとく生き延び続ける。これが僕の悲観的な未来予測だ。

ではどうするか。この「悲観的な未来」を回避するために僕は冷笑系に乗っ取られた第三極に変わり、第四極が必要だと思っている。それは「社会・文化的にはリベラル」で、「経済・外交的にはリアリズム」の勢力で都市部の現役世代を中心にする。

既存の第三極ではなぜダメかというと、SNSマーケティングの効率の高さや、信者からのヨイショ的な反応が気持ちよくなって、すっかり「冷笑」文化が染み付いているからだ。つまり劣勢なリベラル側を後出しジャンケン的にバカすることで自分が強い、賢いのだとアピールして、コンプレックス層を動員する卑しい文化を手放せなくなっているからだ。

そのため、既存の第三極(たとえば「日本維新の会」)は、歴史修正主義や外国人差別に対して完全に「NO」と言えなくなっている。歴史認識やジェンダー、外国人差別問題などは右派マーケティング的には重要なイシューなので、この種のコンプレックス層の支持へ依存がある程度高まると、これらの問題についてはリベラルな態度に舵を切ることができなくなるからだ。

したがって僕は「社会・文化」の領域では完全にリベラル側に舵を切ること、たとえば夫婦別姓は「当たり前」、歴史修正主義や外国人差別は「問題外」という立場に立ちつつも、「経済・外交」的にはリアリズムに立つ勢力が必要だと思うのだ。「経済・外交」的なリアリズムとは、要するに緊縮/ばら撒きも、護憲/改憲も原理主義的にではなく、「是々非々」で考えるということだ。

たとえば、憲法の問題では、マーケティング的に9条護憲/改憲を唱えるのではなく、前文(コスモポリタニズム)と9条(一国平和主義)との矛盾をどう解決するか、とか1条(天皇制)の現代的な意義を考え直すとか、そういう「そもそも論」からきっちり議論することが必要なタイミングだと僕は思うのだけど、それがやれる政治勢力をつくるということだ。

もっと言ってしまえば、改憲(もあり)+経済成長重視でありながら、しっかりと「社会・文化的にはリベラル」であることは十分可能なはずで、「ここ」が政局的に衰退していることが今日の政治的な袋小路の原因だと僕は思う。

そもそも今日の「左派と冷笑の100年戦争」は、第三極が右派マーケティングの誘惑、より正確には「反左翼」によるコンプレックス層の動員の誘惑に抗えずに、「社会・文化」的に右旋回したことによって発生している。だから以上の議論はそれ「以前」に戻したい、ということだ。

そして、この第四極の実現の条件は大きく分けて3つあると僕は考えている。それはかんたんに言えば「非政治的なエリート層の政治化」「地方政治のハック」「労働組合の再編」の3点だ。

では、具体的に解説しよう。

一つは、前述の「非政治的な人々」の啓蒙とネットワークの形成だ。おもにエリート経済人からなる彼らのほとんどは非政治的で、むしろそのことに誇りを抱いている。投票行動としては、仕事で付き合いのある与党議員(平将明あたり)の顔を思い浮かべながら、機械的に自民党に投票している人がほとんど……だろう。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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