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「飲み会」(的なもの)に行かなくても仕事の人間関係はどうにかるという話(+脱アルコールの未来について)

 突然だが(SNS上で告知はしていたのだけど)明日10日(土)に渋谷PARCOで「飲まない渋谷」というイベントに登壇する。世界的にいま進行しているアルコール「ではない」大人の飲み物の楽しさを追求しよう、というのがその趣旨だ。僕はしばらく前から「飲まない東京」という運動を展開しているので、それで声がかかったわけだ。

 トークの相手は高山都さん。「飲まない」僕のカウンターパートとして彼女は「呑兵衛」の立場からノンアル、ローアルドリンク分化について語って貰う予定だ。入場無料(ワンドリンクはお願いします)なので、渋谷に出かけるついででもいいのでぜひ足を運んで欲しい。

(イベント開催に当たって、僕の「飲まない」生活に対する意見を短くまとめた文章が「アクロス」に掲載されている。こちらもぜひ)

 さて、その上で今日考えてみたいのは「飲まない」ことをきっかけにした「これから」の「暮らし」の問題だ。僕がお酒も、「飲み会」も、それを要求する「論壇」の陰湿な人間関係も全部人生からアンインストールしたことは何度も述べているけれど、その結果動のように生活をして、働いて、どう人間関係をつくっているかはあまりまとめて書いたことはなし、その経験の上でどのような暮らし方が可能になるといいな、と思っているかも断片的には発表していないと思う。なので、今日はイベントの補助線も兼ねてかんたんにまとめてみたい。

 ちなみにこう書くと、とにかく相手を貶めて自分を賢く見せたい系の人から、「飲酒批判による社会のホワイト化はダメだ」といった攻撃が行われると思うのだけれど、僕はべつに飲酒文化自体はまったく批判していない(飲みニケーションという労働文化は批判しているが)し、さらに言えばアルコール「ではない」飲み物の可能性「も」追求することでより豊かな食文化の可能性が拓けると考えているだけだ。文句を言う前に、きちんと相手の文章を読むようにしてほしい。

 さて、前置きが長くなったけれど例によって結論から書いてみたいと思う。僕がこの「飲まない」流れが社会に与える(ポジティブな)影響はこのようなものがあると思う。

・人間が全体的にいまより2〜3時間「朝型」になる
・夕食(当然だがあまり飲酒しなくなる)の時間がやや早くなる
・なにか別のことをしながら「喫茶」(的なこと)をする(それに相応しい飲料や嗜好品の需要が生まれる)

 なぜ、そう考えるのか。議論の補助線に僕の生活をかんたんに紹介しよう。

 僕は朝6時20分ごろに起きて、コーヒーを淹れる。お湯が湧くのを待つ間に体重計に乗る(だいたい絶望する)。そしてかんたんな朝ごはんを食べ、まず読書をする。これは仕事の資料の読み込みで、毎日ノルマを決めてメモを取りながら丁寧に読む。それはだいたい8時過ぎまでかかる。その後昼食までは書きものをする。批評家としての自分の、いちばん大事な文章に向き合う。起きて数時間の一番集中できて、体力も残っている時間にいちばん大事な仕事をするのだ。
 午後はメールの返信や人と合う仕事(打ち合わせ)や、動画の収録、空き時間でこのnoteを書いたり編集長としての原稿チェックをする。そして17時くらいには、仕事をやめてしまう。残った時間は本を読んだり、映像を見たりして過ごす。時間があるときは趣味の模型を作る。そして23時には遅くても寝てしまう。ちなみに毎週水曜日と週末はランニングをすることにしている。

 ……といのが理想なのだがしかし実際には

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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