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ほとんどの「大人」が求めているのは「友達」じゃなくて「仲間」(なのでつまらない人間になる)という話

さて、今日はこれから某ビジネス系のメディアの動画収録だ。テーマは「政治的な意見の違う友人とどう付き合うか」だ。番組としては若者の相談に答えるという形式で話すことになっている。曰く、相談者は学生の頃は「リベラル」な思想だった、しかしここ数年周囲の「リベラル」な人(特にクリエイター系)がどんどん過激化し、前回の都知事選では近寄りがたい雰囲気になってしまい、この傾向に疑問を呈すると親しい人に「ネオリベ」と批判されるようになってしまった。どうしたら彼らと「仲良く」できるのか、という相談だ。

ビジネス系のメディアなので「リベラル」側が悪役になっているが、まあ、この「リベラル」を「冷笑」とか「ネトウヨ」に入れ替えても成立する相談だろう。そこで僕がこの質問にどう答えたか……は公開後に動画を見てもらうとして、ここではちょっと無料で公開される動画では話しづらいことを書いてみたい。

結論から言うと、ほとんどの「大人(これは悪口だと思ってもらっていい)」が求めているのは自分の「キャラ」を承認してくれる「仲間」であり、自分との「違い」を楽しめる「友達」ではないと僕は思うのだ。

この質問に即して解説すると、そもそも僕は現代の「左派」と「冷笑」の100年戦争の本質にあるのは、実は政策や社会思想の対立ではなく、「キャラ」の対立に過ぎないと思う。要するに、自分は「繊細」で「正しい」「優しい」と思われたい人が「左派」になり(だから「サブカル」が多い)、そして自分が「強い」「賢い」と思われたい人が「冷笑系」になっている(だから「オタク」が多い)。

そしてこの二つは、実はお互いを必要としていて、共犯関係にあるというのが、僕の分析なのだ。したがってこの相談も、その本質は実は政治的な問題にはない、というのが僕の考えだ。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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