見出し画像

『天気の子』とセカイ系、そしてビジネス中二病

■はじめに

 これは僕らPLANETSが毎週放送しているインターネット番組 #ブループリント の7月30日放送(『天気の子』ほか、夏の大作劇場アニメ特集)の準備のためにつくったメモを再構成したものだ。

 僕はできるかぎり、生放送やイベント登壇の前には詳細なメモを作るようにしている。若い頃に準備不足で何度も痛い目に合っているのもあるけれど、それ以上に一つの仕事に「やり切った」と思える実感が欲しいからだ(もちろん、準備をしっかりすればするほど、いい仕事を残せる確率は上がる)。もちろん、その場の展開によって準備したことを半分も話せない、話さないことはよくある。けれども、しっかり準備すればするほど、その成果は他で応用が効く。「安物買いの銭失い」という言葉があるのだけど、一つ一つの仕事を、オーバーキル気味にしっかり準備した方が、返ってくるものが多いというのが僕の実感だ。

 今日は実験的に、このメモを読みやすく整理して文章に整えて、有料で公開してみようと思う。このメモは僕のオンラインサロン「PLANETSCLUB」でも公開したものなので、さすがに無料公開はクラブメンバーに申し訳ないし、これが少しはクラブの宣伝になってくれたらいいなという思いもある。そしてこのメモには、放送では話せなかったこともかなり含まれている。

 放送を見た人は既に知っていることだと思うのだけれど、僕はこの映画を、それほど面白いとは感じなかった。その理由を挙げることにそれほど意味はないかもしれないけれど、その面白くないと感じた理由からいろいろな議論に派生することができて、その意味でこの映画を論じることは映画そのものよりも考えようによっては面白いと思う。映画は株券でも競走馬でもない。自分が賭けた作家が当たるか当たらないか、ということが気になってしまう人は、映画やアニメを見るのをやめたほうがいいと思う(いや、見てくれるにこしたことはないのだけど、もっと向いているものがあるだろう)。その上で、僕がこの映画を見て考えたことを記そうと思う。

■セカイ系問題

 さて、最初に述べておきたいことだけれど、この『天気の子』を見て「俺たちの新海が帰ってきた」と行っている連中の目は節穴じゃないかと思う。この作品はどう考えても『君の名は。』を経由したからこそできた作品で、それ以前とは全く違う。では、どこが違うのか。端的に述べれば、この作品で新海誠はピュアな中二病からビジネス中二病になっている、と思うのだ。
 今回、インタビューで新海さんは繰り返し『君の名は。』での震災の扱いが雑だったことを指摘された(たぶん僕もそのうちの一人に入っているのだと思うが)ことに傷ついて、逆ギレして、今回の『天気の子』は中二病とセカイ系全開に振り切ったという趣旨のことを述べている。しかし、僕に言わせれば『天気の子』は全然中二病でもなければセカイ系でもない。

「たとえセカイが滅んでも僕は彼女と一緒にいたい」じゃないと、中二病にもセカイ系にもならない。にもかかわらず、『天気の子』では主人公が銃を撃っても人に当たらない、ヒロインの生還と引き換えに洪水が起きても人が死んだ描写がない。「あの夏の日、あの空の上で、私たちは世界の形を決定的に変えてしまった」というキャッチコピーがこの作品には添えられていたのだけど、果たしてこれは本当にセカイが変わったと言えるのだろうか。もちろん、劇中の「設定」ではそうだ。ヒロインの生還と引き換えに東京が水害によって水没しているのだから。しかし、その代償は一切描かれない。端的に述べて、これではまったく心がざわつかない、と僕は思った。
 新海誠はインタビューで『君の名は。』を見て怒った人たちをもっと怒らせたい、と述べていたが、それは二重の意味で勘違いの生んだ発言だと思う。第一に『君の名は。』の震災というモチーフの扱いへの批判は、どちらかと言えばその安易さを指摘するものだった。「怒った人」という解釈はちょっと違うのではないかと思う。そして第二に、この映画で深海誠は本気で人を傷つけて、怒らせることができていない。この映画は前述のように、誰も傷つかないように設計されている。しかし、本当に人を怒らせたいのなら、誰かを傷つけることを恐れてはいけない。そして、ちゃんと痛みに向き合わないと駄目だ。誰も傷つかないセカイ系は気の抜けたコーラみたいなものだ。

僕はもうSNSには宣伝以外のものを書く気がなくて、月に8本前後を目安にこのノートを更新していきたいと思っています。世の中のこと、身の回りのこと、作品評、PLANETSや「遅いインターネット」のこれから、などいろいろ書いていこうと思っています。小説にも挑戦してみたいです。無料の公開記事と、有料のマガジンを使い分けて行こうと思っています。マガジンの購読者が増えると、ずっと続けられると思います。応援してもらえると分かりやすくやる気が出るタイプなので、甘やかしてください。

ここから先は

2,411字
僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。