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『響け!ユーフォニアム3』と「12話」の問題

さて、今日は昨日最終回が放映された『響け!ユーフォニアム3』について考えてみたい。約9年続いたシリーズ全体の完結編となるこの最終回では、エピローグで(大方の予想通り)教師になって母校(北雨宇治高校学校)の教師となり、吹奏楽部の指導をする主人公(久美子)の姿が描かれた。納得感のあるエピローグだとは思うけれど、マジレスすると学校によい思い出がある人は教師に向いていない……というか、なるべきではないと思う。学校という箱庭は、カースト上位に位置できた人々には自分が主役の青春物語を謳歌できる素晴らしい舞台になるが、モブキャラや悪役を押し付けられた人々にとっては無味乾燥な砂漠、あるいは「地獄」だ。これを理解できないタイプの人間は、絶対に教育にかかわるべきではない。果たして久美子に、そのことが理解できるだろうか、僕にはやや疑問だ。

実際に学校に「いい思い出」のある人が、教師になって教育の現場にかかわるようなる傾向は確実にあり、そのことが「学校」という場所のあるタイプの人にばかり優しいアンフェアさを際立たせている。そして、与えられた箱の中の「空気」を読むことしかできないつまらない人間を量産してしまっているのだ。

と、いうことで、僕は僕なりにより「リアリティのある」北宇治高校吹奏楽部のメンバーの10年後を考えてみた。

【響け!ユーフォニアム完結編】

「私たちが卒業してから、10年。私たちは、それぞれの方法で大人の階段を登っていきました。そして今、次の曲がはじまるのです!」

久美子

教師を2年で辞め、今は京都市内の参考書専門出版社の事務。実家暮らし。二言目にはすぐ高校吹奏楽部で全国大会に出た話をするので、周囲から煙たがられている。

葉月

マッチングアプリで出会った美容師と大学在学中に授かり婚→夫の浮気で離婚→シングルマザーとして一児を育てる。職業は保険外交員。

みどり

実家の太さに甘えている間に子供部屋おばさんコースに入る(無職)。

麗奈

音大を出るが奏者としては売れず。YouTubeにアップした昔のアニソンの演奏がバスり、中高年アニオタの人気を得る。代表曲は『行け!ザンボット3』。(モリザベスに加入)

しゅういち

久美子よりいい大学に行けなかったことをコンプレックスに結局踏み込めずじまい。大学を中退して上京。意識高いベンチャーに入社するが2年で退社。現在消息不明。

なつき先輩

大学在学中に脱法ハーブデビュー。退学後は消息不明。

リボンの先輩

人望なく同窓会からハブられる。ツイ廃。有名人の粗探し引用リツイートが生き甲斐。

リボンの先輩が好きなトランペットの先輩

リボンの先輩からのSTKにうんざりして、部活動の人間関係から離脱する。消息不明だが、3年前にマニラで目撃情報あり。

小笠原部長

宇治市役所の職員。ホストクラブにハマり、消費者金融に借金あり。

あすか先輩

維新から立候補。宇治市内を吉村とのツーショットポスターで埋め尽くす。キャッチコピーは「万博で大阪と京都の未来をひらく」。ネット上の通称は「梅村みずほマークII」。

滝先生

淫行で逮捕。

……まあ、冗談はこれくらいにして、本題だ。

この作品は先週放映の第12話、つまり最終回1話前の原作小説にはない、アニメオリジナル展開が一部のファンの強い反発を呼びちょっとした「炎上」状態になっていた。しかし結論から述べれば、僕はこの「12話」を強く支持したいと思うのだ。

さらに言えば『響け!ユーフォニアム3』の「第12話」は傑作であるがゆえに本作が無自覚に掲げてしまっている「学校」や「部活」という制度が内包しているイデオロギーの問題を露呈してしまっている……と思うのだ。

では、問題の「12話」の内容を簡単に説明しよう。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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