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久しぶりに訪れた石巻で「本当に必要だったのは〈復興〉ではなかったのではないか」と考えた話

 昨日は「楽天大学ラボ」の取材で、宮城県石巻市に行って来た。

石巻市役所前に立つ仮面ライダーV3
石巻港


詳細は来月に公開される動画を観てもらいたいのだけど、今日はその取材を通して、個人的に考えたことを書いてみたいと思う。

 結論から述べると僕はこの取材を通して被災地に、というかこの国の地方に必要だったのは「復興」ではなかったと思っている。
 これらの土地に(と、一緒くたにできないのはよく分かっているが)必要だったのはピカピカの復興祈念公園の整備でもなければ、復興予算や原発マネーで作り上げたテーマパーク的な観光施設でもなく、ましてや到底現実的ではない「意識の高い」スタートアップ企業の育成拠点の設置や東京の「イケている」企業のリモートオフィスの誘致でもなく、たとえ地震と津波がなかったとしても「やらなければいけなかったこと」をしっかり自覚してやり遂げることだったのではないかーーそう、強く感じたのだ。

 僕は13年前、つまり2011年の6月にこの石巻を訪れている。当時は石巻もその隣町の女川もまだまだ復旧が進行中で、特に女川は港から中心部にかけて瓦礫と土砂に覆われていたエリアが多かったように記憶している。その日、僕と友人はタクシーをチャーターしてこの地域を回ったのだが、このとき運転手の男性が大きな被害を受けた石巻の市街地を案内しながら「津波が来る前からこの街は壊滅していたようなものだった」と、まるで社会学者のようなことを言っていたのが印象的だった。
 要するに中心部の古い商店街が衰退し、いわゆる「シャッター通り」に近い状態にあったことを指してこう述べたのだ。このとき僕は震災は既に存在していた構造を可視化させたのだと、強く思った。

 それから何度か、取材などで僕は被災地を訪れたことがある。前述したように「被災地」といっても当然地域によってそれぞれの状況が異なっている。
 たとえば僕が訪れたある自治体は放射能汚染から避難した村民の帰還を巡って、村長派と反村長派が激しい対立を続けていた。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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