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藤野可織──自覚する娘|三宅香帆

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今朝のメルマガは、書評家の三宅香帆さんによる連載「母と娘の物語」をお届けします。東日本大震災の後、2012年以降に増え始めた「母娘」の対立を描いた諸作品。「父と息子」のように単純な構図では捉えきれない関係を象徴する作品として、藤野可織の『爪と目』を考察します。

三宅香帆 母と娘の物語
第十一章 藤野可織──自覚する娘|三宅香帆

1.年齢を重ねてからも続く

前章では、東日本大震災以後の2012年に『ポイズン・ママ 母・小川真由美との40年戦争』(小川雅代、文藝春秋)、『母がしんどい』(田房永子、KADOKAWA/中経出版)の二冊が出版されたことがきっかけで、「毒母」という言葉が流行し、母娘問題が注目されるようになったことを扱った。平成の文学作品について文芸評論家の斎藤美奈子と高橋源一郎が対談した『この30年の小説、ぜんぶ 読んでしゃべって社会が見えた』(高橋源一郎・斎藤美奈子、2021年、河出書房新社)においては、2012年に注目すべき文芸作品の変化についても以下のように指摘されている。

斎藤 母なんですよ、3冊とも。『東京プリズン』『母の遺産』、芥川賞の『冥土めぐり』。どれも虐待する母とその母に抗う娘というか、母親によって抑圧された娘の話で、もっとザックリ言うと母殺しなんですよね。これまで近代文学はずっと父殺しをやってきたわけだけれども、今年はここにきて急に母殺しという。
高橋 そう、しかも、全部書いてるの女性だしね。女の子の母殺しですよね。
斎藤 そうなの、母と娘なんですよ。父と息子という構図がずうっと続いてきたわけですけど、なぜか今年は母と娘の葛藤の話が重なった。
高橋 だから父と息子の話なんかないんだよねえ。
斎藤 そうですね。もう父と息子はね──。
高橋 終わったの?(笑)。
斎藤 終わったでしょ(笑)。
高橋 ほんとにそう思いました。だって男性の書いてる小説もあるけど、父と息子の話なんか出てこない。っていうか父いないし(笑)。
斎藤 かつては近代の父が立ちはだかってたわけじゃないですか。特に文学をやろうなんていう人はさ、父は絶対に反対するもんね(笑)。けど、母と娘の対立は近代文学の誕生から150年たってやっとテーマになったって感じがする。
(『この30年の小説、ぜんぶ 読んでしゃべって社会が見えた』p89-90)

『冥土めぐり』(鹿島田真希)が芥川賞を受賞した2012年、同年に『東京プリズン』(赤坂真理)、『母の遺産 新聞小説』(水村美苗)という母娘関係をテーマにした小説が続けて刊行されていた。エッセイやノンフィクション作品のみならず、小説においても「母娘の主題」が注目された年だったのである。2022年現在においては文芸誌『文藝』の2022年春季号で特集「母の娘」が組まれるなど、小説のテーマとして珍しいものではない。が、当時は斎藤が「やっとテーマになった」と述べるなど、新鮮な主題として受け取られていたことが分かる。
高橋は「父と息子の場合だったら、ある程度わかりやすい対決がある」と述べる。母を奪い合ったり、何かを得ようとする同士で対立が図られる。だからこそ「それを得ようとしない」という手で逃げることも可能である。だが、母と娘のほうは「逃げちゃえばいいじゃんと思うんだけどさ、そうはいかないんだよね」と語る。斎藤も「そこが母娘の難しさ」と頷く。

斎藤 そう、共依存みたいになってるとこがある。父の要求って「おまえは出世しろ」とか「家を継げ」とかさ、シンプルでしょ。でも、母から娘への要求は複雑。ここに出てくる母は一応みんな近代人ですが、がんばって勉強しろって言ったかというと「早く結婚しろ」と言ったりする。矛盾するふたつの要求の中で娘は混乱するっていうのがまず基本で、さらに母はみんなお金持ちの娘だったりするので、強権的なんだけど、お嬢さんみたいなところがあって、庇護しないとダメっていう。そのへんが面倒くさい。受けた教育の差も反映している。
高橋 どうなんだろうね、母には、ある程度自分のことも投影されてるのかな。つまりさ、父と子の場合には他者であると同時に自分を投影している部分があるけど、母娘の場合、今の自分は若い頃の母親、あるいは母は何十年後かの自分みたいな、そういう感じはあるんですか。
斎藤 さあ、関係はあるんでしょうけど、もっと現実的で切実な問題が大きいと思う。この3冊についても言えることですけど、40~50代になって初めて、母娘問題に目がいくんですよ。介護問題とかが浮上するからです。今までこういう小説が少なかったのは、若い頃は女性が書く小説って、女性の自立や男との葛藤とかのほうがずっと大きな関心事だったからだと思うのね。20世紀はそっちが重要だったわけですし。それが少子高齢化社会になって母との葛藤が始まる。父と子の葛藤はもっと若いわけじゃない。
(『この30年の小説、ぜんぶ 読んでしゃべって社会が見えた』P91-92、太字と傍線は筆者が付した。)

たしかに傍線部の斎藤の指摘の通り、小説に限らず、母娘問題をテーマとした作品は、30歳を超えている作者が書いていることが少なくない。前述した母娘のエッセイ『ポイズン・ママ 母・小川真由美との40年戦争』『母がしんどい』もまた同様である。本連載で扱ってきた『イグアナの娘』(萩尾望都)や『シズコさん』(佐野洋子)もまた、作者がキャリアを積み年齢を重ねた時期の作品である。
一方で父と息子の対立は、フロイトの言葉を参照するまでもなく、息子が大人になる通過儀礼──つまり思春期から青年期にかけての葛藤として描かれることが多い。父殺しの物語として著名である『スター・ウォーズ』シリーズや『海辺のカフカ』(村上春樹)の主人公はやはり、少年あるいは青年期までの年齢である。
娘にとって母の支配から逃れることは、どうやら思春期のテーマというよりも、もっと年齢を重ねた時期に重視される問題なのではないか。そこが父と息子との違いのひとつであることは確かだろう。
しかし一方で、斎藤が引用した対談においての太字部分で述べる通り、「出世と結婚、矛盾するふたつの要求の中で娘は混乱する」ことが母と娘の葛藤の本質であるならば、それは青年期までのテーマではないのだろうか。もちろん年齢を重ねてもなお出世や結婚を望まれることはあるだろうが、前述した作品たちは30歳を超えた作者によって、どちらかというと青年期以後のテーマとして描かれているのだ。そこに斎藤の述べるような「矛盾するふたつの要求にこたえること」以上の葛藤があるからこそ、父と息子のような若い時代に終わらない対立となっているのではないだろうか。
斎藤自身は、それについて「40~50代になって初めて、母娘問題に目がいくんですよ。介護問題とかが浮上するから」と説明している。が、挙げられた『冥土めぐり』を読んでも分かる通り、どちらかというと「若いころから年齢を重ねてなおずっと続く母の支配」というテーマが描かれており、年齢を重ねて突然浮上した、という形とも言い切れないのである。つまり斎藤の述べるような中年期に初めて目がいったというよりも、思春期や青年期から、そして中年期になってなお残っている、という言い方のほうがより実情に近いのではないか。そして2012年に出版されたエッセイや小説は、前章で語った通り東日本大震災等を通して、その問題を一気に取り上げ始めたのだろう。

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