#33 8期

5月5日はこどもの日。
立夏。


Gaia Youth 8期が5月2日から開催されている。


講座の中身、参加者の様子、僕らの間柄は追って気が向いたときに綴りたい。


Gaia Youthは、まるで凪いでいる内海で遊んでいるうちに、うっかりとそのまま小舟で荒れ狂う台風の海に漕ぎ出してしまい、どういうわけか奇跡的に未知の土地に無事に流れ着いたかのような旅路となった。


僕らの生活は2月の時点で少しばかり退屈なものになっていた。

毎日手の籠もった美味しい料理を分かち合い、それぞれの趣味を愉しむ余裕をもち、週末には近所の喫茶店でのんびり優雅に過ごす。申し分ないといえば申し分ない衣食住環境に加え、生活を自ら作っていこうと思う人々のなかで暮らしを継続することはなんとなく「楽」ではあった。

住と食は、生命維持に直結するために、まずはそれらを安定的に確保できる水準の生活を送り、安心することは暗黙ながらひとつの目標であった。

それが成し遂げられたように感じ始めたところで、誰ともなく哲学が始まる。

「この生活を維持するために生きたいわけではない。わたしは本当はどう生きていきたいのだろうか。」

その切実な問いは思考の果てに明らかになるわけではない部分があるだけに、誰もが自らを小さな殻に押し込めてしまう自らに課している制限の昇華と可能性に満ち満ちている「自分」に出会う体験を求めた結果、「Gaia Youthをやってみないか」と具体的なプランが出てきた。


ここからが波乱の始まりであった。

「Gaia Youthをやる」

そうは表明するもののそれは一体何のことを指しているのか。同じ言葉を発してもそのたった一語に乗せたイメージや思いはことごとく異なる。それを了解しようとしつつ、事務的な作業、法人の立ち上げからWebサイトの構築、プログラム内容作り、広報、実現に必要なことを各々が自発的に取り組んでみる。


暮らしは一気に様変わりした。

それまでの生活リズムは崩壊し、暗黙的に出来上がっていた家事分担は変化を迫られ、それに伴いお望み通り今までは表出しなかった思いが各人から出てくるようになった。


もうひとつの挑戦は、こころのままに働くことであった。

通常、プロジェクトはある目標の到達に向かうに際して、プロジェクト自体の完成や完遂が優先され、そこに携わる人間の日々のこころの変化を大事にすることは二の次となる。関係者が疲弊したとしてもプロジェクトが頓挫することなぞ想定すらされない。

しかし、人が人らしく生きることを何よりも大事にしたい僕、僕らとしては一緒に生きる仲間が消耗し疲れ果て、生きる喜びを見失うことは決して望むものではない。だからこそ、各人のこころの動きに合わせてプロジェクトが動いていくことになる。人が疲れれば、作業は止まるし、やめたいときに何でもやめられる。強制力もないのでやりたい人がやりたいようにしかやりようがない。それは当然、理想はあってもやったことがないので難しかった。3月いっぱいは理想と理想に適わない現状のギャップにそれぞれが悩ましい日々を送った。嵐の渦中だった。


韓国からの友人の訪問をきっかけに、開けるところがあった。

「話し合えないことを話し合えた。」のだった。なぜこうもこころに浮かんだこと、最近考えていること、気になったことを声に出せないのか。なんでも話せて聴き合える関係性でありたいと言いながらもそうなっていない現状そのものを話すことがなぜかできなかったし、そこを話し合うという発想がなかったのだった。


嵐は去り、新たな土地が見えてきたけれども、なかなか陸地に辿り着けない。

要するに参加者が集まらないのだった。

それでも、

「どんな風であれGaia Youthをやってみよう」「Gaia Youthをやろうとするなかで現れる自分と出会うことを楽しもう」と焦点と気持ちが定まり腹が決まってくると不思議なことがおこる。


当てにしていた参加候補者が軒並み不参加を伝えてくれたとき、僕は落ち込んだ。そんなときにも、その落ち込みという気持ちそのものに出会えたことをよかったのではないかと声をかけてくれ、大いに学ばせてもらえた。それぞれがどんなことが起こっても学びだとこころから思うと、なんだか開催云々よりもプロセスそのものが楽しくて仕方なくなってくる。

人が集まらなくても笑っていられる仲。


もちろん広報募集、僕らができる範囲でできることを精一杯した。

そんなある日、参加者が増えた。日を追って新規の申し込みが舞い込み、多少のキャンセルもありながら次開催を求める声ももらい、あれよあれよという間に8期の開催目処はついてしまった。


やりたい気持ちがあってもやれないときがある。それなのにやりたい気持ちに加え、できる条件が整う。


4月25日〆切日。ゴールデンウィーク前、ギリギリのことだった。


5月1日。日付けを超えるまで参加者のことを思う浮かべ内容を作り込む。


5月2日。本当に本当に開催できてしまうのかドキドキわくわく。駅にお迎えにいくとなんと申込者全員がいる。


僕らの出会いの交差は大きな大きな織物のあるモザイクをともに織り上げるようなものだと僕は思っている。体調、交通機関、気象、ありとあらゆる条件が揃ってはじめて人と人が交わることができる。縁。理屈を超えたこの世界の不思議のなかに生きる僕らのこの邂逅の不思議。


これから果たしてどうなっていくのだろうか。

人生はますます面白い。







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