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負けた。これは、いいことだ。 ─ 太宰治が見た『黄金風景』

太宰治の『黄金風景』を初めて読んだのは、学生時代でした。
太宰=陰鬱という先入観を持っていた私は、この物語を読み衝撃を受けました。

『黄金風景』は、原稿用紙八枚の短い物語です。『きりぎりす』(新潮文庫)に収録されているほか、青空文庫でも読むことができます。


以下の記事では、太宰治『黄金風景』の内容及び
結末に触れます。未読の方はご注意ください。


「私」の回想

物語は主人公である「私」による幼少期の回想から始まります。
裕福な家に生まれた「私」は、横柄な性格で、お慶という名の女中をいじめていました。のろくさく不器用なお慶が癇にさわった、「無知で魯鈍の者」は、とても堪忍できないと、回想の中でも繰り返し述べられています。
「私」は日頃から非道な言葉を浴びせたり、嫌がらせのような内職を命じたりと、お慶をいびり続けます。

今で言うところのパワハラです。


そしてある日、ついに「私」は、癇癪をおこし、お慶の肩を蹴るという決定的な行為をしてしまいます。
このときばかりはお慶も、泣きながら「一生おぼえております」とうめくような口調で言い、「私」も流石にいやな気がしたというところで回想部分は終わります。

「私」のいま

「私」はいま、家を追われ、困窮し、海の近くの小さな貸家で暮らしています。家を追われた理由は明らかにされていませんが、何かよほどのことがあったのでしょう。
文筆家として何とか生計を立てているものの、病にも苦しみ、心身ともに限界の状況に陥っています。
そんなある日、戸籍調べの40歳くらいの巡査が「私」の家を訪れます。会話を交わすうちに、巡査は「私」と同郷であり、こともあろうにあのお慶の夫であることが判明します。

思い出した。ああ、と思わずうめいて、私は玄関の式台にしゃがんだまま、頭をたれて、その二十年まえ、のろくさかったひとりの女中に対しての私の悪行が、ひとつひとつ、はっきり思い出され、ほとんど座に耐えかねた。

『黄金風景』本文より

「私」の狼狽は想像を絶するものでしょう。過去の身勝手な行いに対する後悔、今の自分の惨めさ、何よりも自身の仕打ちを「一生おぼえております」と言った女中の夫が目の前にいる恐怖。様々な想いが押し寄せ、その場にいるのが耐えられないような状態になります。

しかし、巡査は「私」の心中など知らぬような朗らかな態度で、後日お慶を連れてお礼にあがりたいと言い、そのまま家を後にしていまいます。


「私」の出発

それから三日後、「私」は海へ出ようと玄関の扉を開けた瞬間、外にいたお慶の一家に出くわします。「私」は激しく動揺し、お慶が口を開く前に、逃げるように家を飛び出します。

竹のステッキで、海浜の雑草を薙なぎ払い薙ぎ払い、いちどもあとを振りかえらず、一歩、一歩、地団駄踏むような荒すさんだ歩きかたで、とにかく海岸伝いに町の方へ、まっすぐに歩いた。(中略)ちえっちえっと舌打ちしては、心のどこかの隅で、負けた、負けた、と囁ささやく声が聞えて、これはならぬと烈はげしくからだをゆすぶっては、また歩き、三十分ほどそうしていたろうか、私はふたたび私の家へとって返した。

『黄金風景』本文より

「私」は町を歩きながら、「負けた」と感じます。温かな家庭を築いたお慶と、すべてを失った自分。両者の現在の姿の比較し、惨めさを感じたのでしょう。お慶のように温かい家庭を築くことが、「私」の理想だったのかもしれません。

そして物語は佳境を迎えます。自宅の海辺へ戻ってきた「私」は、お慶の一家が海へ石を投げ笑い合う「平和の図」を目にします。夫から掛けられた「あの人は、いまに偉くなるぞ」ということばに、お慶は誇らしげにこう返します。
「あのかたは、目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」と。

   私は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。
 負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。

『黄金風景』本文より

『黄金風景』最後の一節です。「私」はここで再度「負け」を自覚します。しかし、それは先程の「負け」とは決定的に異なるものです。
幼少期の「私」から非道な仕打ちを受けていた、当時のお慶の心情はわかりません。それでもお慶は、当時のことを自分の糧とし、心から感謝の気持ちを述べるのです。その許しのことばは、「私」に人として大切なものを知らしめ、清々しいほどの「負け」を自覚させます。そこには先程までの惨めさや屈辱感は一切ありません。眼前に広がる黄金風景は、「私」のあすの出発をも明るく照らします。


『黄金風景』は、「私」が新たな一歩を踏み出す再生の物語です。人生は挫折と後悔の連続ですが、それでも生きていこうとする懸命な姿がこの物語からは伝わってきます。
作者の太宰治は、38歳の若さで自ら命を絶ちました。晩年の太宰が見た風景は、全く違ったものだったのかもしれません。それでも私は、この物語に救われています。


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