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アラスカ こんな世の中でも希望は捨てられない

アラスカでのある日。
ちょうど散歩から帰ってきたわたしは、Josh(32)がリビングで着替えているところに鉢合わせる。わたしに気づいた彼は、パンイチ姿で焦り出す。急いでズボンを履いているけれど、太ももに奇妙な凹凸がいくつもあるのが見えた。
わたしはそれがヘロインの注射痕だとも知らず、奥多摩にある日原鍾乳洞のごつごつとした壁面に似ているなあ、と思った。

「見た?」
「見た」
「お願いだから見なかったことにして」
「何でよ気にしないよ」
「だってこれは」

彼は顔を真赤にして、首を横にぶんぶんと振っている。そして、覚悟を決めたように話し始める。

「とにかく父親が死んだ後から俺達は道を間違え始めたんだよ」
「何のこと?」
「この注射痕、」

彼の過去についてはよく知らない。わたしの有って無いような英語力でわかったことといえば、彼らに姉がいること(わたしは彼の兄の家族の家にホームステイしています)。彼の父親は彼らが20そこらの時、自宅から2ブロック先離れた路上で銃で殺されたこと。そして、母親はその事件をきっかけに彼らの前から姿を消したということ。彼は続ける。母がいなくなった後、姉も結婚し、家からいなくなる。それから兄弟揃ってヘロインの快楽に陶酔し始めたらしい。

「もう、注射したら寝ることしかできないんだよ。打ったあとは何もできなくて。…で、16時間位そのまま眠りに落ちるんだ。酷い日は目が覚めると2,3日経ってたなんてこともあったよ。効果が切れると寒くなったり全身が痛くなったりするから、また打っての繰り返しで、それが7年」


”ヘロインを摂ると人間の経験しうるあらゆる状態の中で、ほかの如何なるものをもってしても得られない最高の状態になる”

どうやらこの薬物、ドーパミン作働性ニューロンをフルスロットルにして凄まじい快感を生み出すらしい。中毒者の中には、細胞や臓器が壊死して死んでしまうケースも。彼の日原鍾乳洞は、注射によって筋肉が収縮したことによって形成されたものだった。

こういった類のものは、娯楽目的で作られたことはほとんどない。医療目的か、はたまた偶然か、そのどちらかが多いような気がする。実際、後ヘロインとして扱われる(同じ成分を持つ)ある植物が、6000年以上前エジプト近郊で、喜びをもたらす植物、痛み止めとして医療目的で使用されていた。幻覚や多幸感をもたらす植物は世界各地で薬として使用されていて、シャーマンと呼ばれる人々が扱うことが多い。われわれは中毒性・幻覚を見る・多量摂取で死ぬなどの欠点よりも、得られる利益のほうが大きいということから使用を止めることをしなかった(今のスマホ依存症なんかもそれに当てはまりそうですね)。

そんなものをどうしたら安全に使用できるかを、人類に役に立ちそうかを研究するのが科学者だ。彼らは中毒性を消し、鎮痛作用だけを残すことを試みた。そして、ケシの成分の中で、強い鎮痛成分を持つのがあの有名なモルヒネだということが分かった。精製されたモルヒネから得られる鎮痛効果や多幸感は6倍にもなった。世に回ったモルヒネは、さまざまな病気や戦士、アルコール依存症患者などに使用されることになった。

依存度の危険性から、科学者たちはどうにかして副作用を取り除けないかを考え続けていた科学者たちは思いつく。彼らは、モルヒネに似た、別の物質を生み出そうと動き始めた。結果として、モルヒネの5倍の効果に加え、脳に素早く効果をもたらす物質が生まれた。しかし、副作用は無くならなかった。研究者たちは、そもそも摂取”量”が依存に繋がるのでは?と考えた。 つまり、5倍の効果があるなら摂取も5分の1になり、依存に陥るペースも5分の1に落ちるという可能性が見出された。不確かなまま、この強力な物質はヘロインと命名され、新薬として世に回ることになった。それは、死期の近い患者やガンなどの痛みに対する鎮痛剤としてだ。

「本当に簡単に手に入るんだ。今まであれに費やしたお金で家いくつ建てられるんだろう」

彼は兄と二人で毎日ヘロインを打ち、同じベッドで死んだように眠り、効力が切れたらまた打ち、いくら痩せても食事を取らなかったそうだ。

ヘロイン中毒から7年が経ち、ようやくミシガン州の大学病院に彼らは連れて行かれ、チップを入れる手術をしたのだそう。ヘロインが無効化されるマイクロチップを体内に挿入した後は、壊れかけた脳と筋肉、それぞれの器官との戦いだったという。兄弟ふたりで送った14日間の過酷生活を思い出す彼は、もう二度とやらないと誓ったらしい。

彼は、わたしに笑いかける。あんなのはもうごめんだ。シラフのままのほうがよっぽど幸せに満ちてる。

注射痕同様に、あの頃の経験は彼らの中で消えることのないものだろう。過去を克服したというのは間違っている気がするし、過去を打ち消したというのも違う。わたしは彼のことを、重い過去を背負っている人なのだと悲観的に表現したくない。
平日は毎朝4:00時に起床し、職場へ向かう。小学校のグラウンドの除雪作業をする。日曜日の朝には教会に行き聖歌を歌い、牧師の言葉を傾聴する。これが現在の彼である。健全なクリスチャンでありながらアルコール中毒で恋愛依存症で、週一行われる無料カウンセリングと動悸を抑える薬を常用している。

俺っていつまで経ってもどうしようもないんだ。さっさといなくなりたいよ。Life is sucks. と彼は言う。すべてをまるっと投げ捨てているような、諦めたように笑い飛ばす彼だけれど、その口ぶりからは、彼の自嘲するばかみたいな人生へのささやかな愛情表現みたいなものを感じた。

幸も不幸も、喜びも悲しみも、自由も不自由も、いつも同じ場所に存在する。結局、自分が幸せって思えるのは才能だよねなんて話をした。今日も朝起きることができた。1日3食満足に食べることができる。家がある。友人がいる。家族がいる。わたしは、それだけで幸せだと思える努力をしたいなんて言ったけれど、なかなかそれって難しい。他人と比較するのはよくないと知っているけれど、どうしても隣の芝が青く見えてしまう。とにかく、生きづらいと感じるのだ。だから、自分自身の嫌いな部分、どうしようもない部分を撃退しようと奮闘するのではなく、共存していく姿勢に変えるのがいいのかもしれない。自分を享受できれば、幸にまた一歩近づく気がする。

アルコールを大量に呑んだ日は陽をいっぱい浴びて、森林の中をチャリンコで走ったらチャラな気がする。何がチャラ?よくわからないけど、そんなことを繰り返す感じでいい気がするんだけど。


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