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バレーボールアナリストになったワケ

【このノートでわかる事】
・私の経歴
・バレーボールアナリストになった理由

自己紹介

はじめまして。
バレーボールアナリストの宮脇裕史です。
まずは簡単に私のプロフィールをご紹介します。

経歴
    2007年 東海大学卒
2007年~2014年 JTマーヴェラス コーチ兼アナリスト
2014年~2016年 バレーボール・女子日本代表 サポートアナリスト
(独立行政法人スポーツ振興センター・ハイパフォーマス事業)
2017年~現在  バレーボール・アンダー女子日本代表 アナリスト
(公益財団法人日本バレーボール協会)
帯同歴(代表チーム)
2013年 第1回世界U-23女子選手権大会
    エリツィン杯
2014年 エリツィン杯
    ワールドグランプリ
    世界選手権
2015年 第1回アジアU-23女子選手権大会
    モントルーバレーマスターズ
    第2回世界U-23女子選手権大会
    ワールドカップ(裏会場)
    第18回世界ジュニア女子選手権大会(U-20)
2016年 リオデジャネイロオリンピックバレーボール世界最終予選
    第18回アジアジュニア女子選手権大会(U-19)
    リオデジャネイロオリンピック
    第5回アジアカップ女子大会
2017年 第2回アジアU-23女子選手権大会
    第19回世界ジュニア女子選手権大会(U-20)
    第29回ユニバーシアード競技大会
    第3回世界U-23女子選手権大会
2018年 第19回アジアジュニア女子選手権大会(U-19)
     第6回アジアカップ
    世界選手権(裏会場)

幸せなことに大学を卒業後すぐに実業団のスタッフとして入れることとなり、現在もバレーボールアナリストとして活動しています。
近年は、アナリストを志す方(主に学生)に向けの育成セミナーの開催に力をいれています。
かれこれ、アナリストになって10年近くが経ちました。
そんな私がなぜバレーボールアナリストになったのか、ご紹介致します。

なぜバレーボールアナリストになったのか。

バレーボールアナリストを知ったのは、大学に入ってから。
高校は、宮崎の宮崎工業高校という、県内では強豪チームで、インターハイにも出場したレベル。
ただ、僕は選手としては2流、3流レベルでずっとベンチでした。
当時の夢は、『オリンピック選手をサポートする!』というざっくりとしたものでした。
そこで、アスレティックトレーナーになろうと、ずっとお世話になっていたトレーナーさんに相談し、東海大学への進学を決めました。
東海大学のバレーボール部に入れるなんて思ってもいませんでしたが、話は進んで入部できることに。

バレー強豪校・東海大学

東海大学に入学し、バレー部にも入団したのはいいものの、周りは全国制覇したメンバーや、高校でエース張ってた選手などそうそうたる面々。
先輩には清水邦広さんなど日本代表選手もいるようなレベルで、、
そんな中で、どうしたらチームに貢献できるか考えていると、東海大学のバレー部にはアナリストという役職があるのを知り、各学年に一人アナリストを作るということで、即立候補。
そこから選手の傍らアナリストとしてのスキルを学び始めました。

恵まれた環境

幸いにも、バレーボールアナリストを目指すための環境には恵まれてました。
すでにバレーボール部にはデータバレーが導入され、いつでも練習できる。
教えてくれる先輩たちがいて、その方々が優秀で目標にできたこと。
二つ上の先輩は、学生ながら日本代表チームのサポートアナリストとして活躍し、卒業後は即男子日本代表のアナリストに。
一つ上の先輩は、学生ながらも実業団チームのアナリストとしてサポート。卒業後はその実業団チーム入り。

そんな先輩が身近にいて、一日でも早くデータバレーの扱いを上達し、
追い抜きたい!という純粋な気持ちで毎日パソコンに向き合ってました。

長くなってしまいましたが、
僕が、バレーボールアナリストになったワケは、

強豪バレー部の中でどうしたらチームに貢献できるか。

その答えがアナリストでした。



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自己紹介

1988年生まれ|バレーボールアナリスト バレーボールのゲーム分析を専門とし、実業団や、日本代表のアナリストとしても活動。2016年リオデジャネイロ五輪にもサポートアナリストとして帯同。 夢はスポーツアナリストをビジネスとして発展させること &自分のサービスを作り世の中に出すこと