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真夜中の自転車 #004/自転車の世界は狭い

 自転車の世界には、特有の属性がある。ほかの業界には見られない特質があったりするのだ。特にそれは、道楽や趣味の自転車の世界、スポーツ自転車の世界で濃厚に発現している。
 ひと言で言えば、自転車の世界は狭いのである。近年の自転車ブームによって、実用車以外の自転車ユーザー層は飛躍的に増大したと思われるが、それでも、スポーツ系または道楽系の自転車に職業的に関わる層、あるいは、非常に熱心な愛好者として自転車に関わる層の規模は、本質的に昭和の頃と大きく変わっていないように見える。
 これは、2000年頃から流入した愛好者の方々にはとってはあまり根拠のない風説のように思えるかもしれないが、旧くからやっている玄人筋の先輩に聞いてみれば、頷かれるケースが多いのではないだろうか。

 道楽自転車関連の設計や製作、ある程度規模のある販売に携わる人、イベントなどの運営を仕掛ける人、ロード系の自転車アスリート、自転車ジャーナリズムに関わる人、等々は、「知り合いの知り合い」ぐらいの関係でネットワークが構築されていることが多い。
 だから、ちょっとしたことがきっかけで「ああ、あの人のことか」みたいに話がツーカーになることがよくある。
 ランドナーのように愛好者人口が限られた世界では、その濃度はますます高まり、下手なことが言えないということが往々にしてある。
 なんでそういうようなことになったかを推測してみると、つまり、もともとは道楽自転車の世界の人口は他の乗り物道楽に比べるとやはり少なかったので、否応なしに世界は狭まり、その中で人間関係が構築されることが多かったからではないか。
 単に愛好者人口が少ないということだけではなく、当時の自転車エンスージャストには「こういう風変わりな道楽を持つのは俺たちぐらいのものだ」ぐらいのやや自虐的な認識があり、世間の無理解に対して、個人ベースで反骨心があったからではないかと思われる。

 愛好者人口が飛躍的に増えた現在であっても、自転車道楽はメジャーなものかと考えると、どうもやはり首を素直に縦に振れない部分が私などにはある。どちらかと言えばやはりマイノリティの部類に入るのではないかと考えてしまうのである。
 ただ違うのは、センチメントとして、今の愛好者の方々は世間に対して、より集団あるいは組織的に抵抗するような傾向がなきにしもあらずという気がする。都市における自転車の運用環境をより良くしたいと考えている方々などが典型的であろう。
 そう考えるのもある意味自然なことであって、なぜかと言えば、近年の自転車ムーブメントの背景には、環境的正義や交通政策的妥当性などの後ろ立てがある。なんだか凄いなあ、と思う反面、なんだか近寄りがたいなあという本音も出てきちゃったりするのである。
 昭和の高校生がランドナーに乗るときには、もっと自分勝手であった。当時の大学生がランドナーで旅をしている風景は非常に大人びて格好良く見えたから、それを真似したかったという要素が多分にある。
 「自分探し」というような、ポストバブル期にふくらんできた青少年的哲学ゲームさえ思いつかなかったのかもしれない。そういう萌芽があったことは決して否定しないけれども。

 自転車のコアな世界が狭小だということには、あるいは自転車の持つハードとしての特性が大きく影響しているのかもしれない。
 ショッピングモールで廉価で大量に流通している実用自転車の世界は、それ自体、非常に大量にコストダウンされて生産されたものであり、ユーザー層も特に自転車を愛好している層ではないから、自転車に対する愛もない。多くの人が止むを得ず乗っているだけの自転車だからである。
 道楽や趣味の自転車はまったく違う。車輪の回転中心を成すハブひとつとってみても、低価格実用車のそれと、30万円クラスのスポーツモデルのそれとでは、同じ用途のものとは思えないくらい品質が異なる。そして後者の製造数は前者に比べて非常に少ない。
 クロムモリブデン鋼の高級なパイプを使ってハンドメイドされる自転車フレームの工房は、一人でも運営し得る。有名なアトリエでも、実際に製造に携わるクラフツマンは数人以下だ。
 そもそも、コアな方向に行けば行くほど、あたりを見回して周りに立っている人間が少なくなるのが、道楽自転車の世界なのである。

 そういう世界の中では、必然的に、人的ネットワークは錯綜するから、交点や結節点が増え、その結果、人的世界の密度は増し、空間的には狭いと感じるようになる。
 自転車が人力の乗り物であることも、何がしかの影響を与えているだろう。つまり、それは、人間と不可分な乗り物なのであり、必然的に自転車と人間との関係性は、人間と人間との関係性に近くなる。
 いやでもおうでも、自転車には人間を引き寄せる重力が働いており、そういう小さなブラックホールを抱えた道楽宇宙は、世間にはそう多くはないのかもしれない。

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