社会の分解者|廃棄物アーティストという存在
2022年6月1日、私がディレクターを務める廃棄物を用いたアート作品の公募「COIL Upcycle Art Contest2022」の応募受付が開始された。
昨年運営事務局の立ち上げと第1回のコンテストが開催され、全国から123名の一般人からプロの作家まで様々な背景を持つ人たちからの応募が集まった。
最終審査にてグランプリを授賞したのは岡山県在住の現役大学生、金崎晟南さんの作品「Has an aura.」(トップ画の作品)。廃棄物という存在が人の形に化け、自らを捨てた人間にコミュニケーションを取ろうと手を指し伸ばす姿が印象的な作品である。作品を前にすると、その無表情でどこか寂しそうな顔と本物の人間を模った腕の形から奇妙な存在感を感じられずにはいられない。その存在感から審査員の満場一致でグランプリとさせて頂いた。
2021年度コンテストでは1次審査で入選した計12作品が最終審査会に参加し、金崎さんの作品を含め計5作品の作者が受賞をした。
↓今年度の公募に関する記事
↓昨年の公募結果についての記事
廃棄物アーティストは分解者である
作品の表現はあくまで作家の主観的なものであるが、作品と関わることを通して観覧者は廃棄物がこの世に存在した経緯やその存在意義について概念を受け取ることになる。
今まで見てなかった、見えてなかった、見ようとしていなかった廃棄物問題を、社会が生んだゴミという存在の行き先について、作家の表現に相対する形で想像力を働かせざるを得なくなるのである。
ゴミは間違いなく人を含む地球環境に脅威を与えている。貧しい発展途上国の人々をさらに窮地に追い込んでいるし、海のマイクロプラスチックは食物連鎖を通して人の健康に悪影響を及ぼしている。
さらに今資本主義社会を生きる私たちは、ほとんどの人がお金を稼がないと生活をしていけない。もはやお金を稼ぐ、稼いだお金でものを買うことは生きることとイコールであると思っている。新しい仕様が出れば古い物は手放され、需要が高まった商品は莫大な量が生産されている。
現状を知るほど、これ以上自然界では「もの」を分解しきれていない時点に来ているということを改めて実感させられる。
「分解」について考えてみたい。
人が出した生ごみを豚が消化し排出するように、排出された糞が土壌のなかで微生物に分解されるように分解に分解を重ねて、より小さな要素に細かく砕かれていく、自然界ではごく当たり前のこと。上記引用の言葉を借りれば、完全にしゃぶりつくされていずれは消えていくこと。それが分解。
私がなぜ廃棄物アーティストを分解者と呼ぶのかというと、彼らは廃棄物と呼ばれる「もの」を創作活動によって他の人が吸収しやすいように「分解」しているからである。
先ほどの金崎さんの作品のように、分解の産物である廃棄物アートを通して、観覧者は咀嚼し、消化していくのである。
小難しいことを言ってはいるものの…
先日とある方から「分解の哲学」を紹介してもらい、「アートは分解だ」とか言われて、なんじゃそりゃ?と頭が混乱していた私が、こんなにドヤ顔で人に分解を語るなんぞ100万年早いのだが、本が分かりやすかったお陰で少しは理解することが出来ている。
分解を知り、改めてアートを眺めてみると全く別世界のような気がする。無知を恥じるとは正にこの瞬間。いままで廃棄物アートが好きなどと言ってしまっていた自分が少し恥ずかしくなった。
冒頭で話したように、廃棄物アートコンテスト「COIL Upcycle Art Contest2022」が今年も開催される。今年はどんな分解者たちが集うのかがとても楽しみである。
廃棄物アートに関わる方、是非分解の哲学の一読をおすすめします。
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