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和歌山紀北の葬送習俗(2)葬式の呼び名

▼今でこそ、死者を葬る儀式のことは全国ほぼ共通して「葬儀」や「葬式」などと呼ばれていますが、管理人が小さい頃(昭和後期)には祖父母はそのような呼び方をしていませんでした。
▼かつての人びとは、葬儀や葬式のことを何と呼んでいたのでしょうか。これには、「そもそも葬儀、葬式とは何か」あるいは「どこからどこまでが葬儀、葬式なのか」という定義の大問題が関係しており、当然この範囲には地域差があるので、現在も定まった解のようなものはないような気がします。

1.柳田国男による方言収集

▼柳田は、全国の方言を収集する中で、死者を葬り、弔う儀式を広く葬儀、葬式とした上で、地域によってさまざまな呼称があると述べ、首都圏ではトムライ(弔い)、茨城の多賀郡ではトリシマイ、鹿児島の下甑島ではトイオクリ、島根の隠岐島ではトリオクリ、山口ではタチバ(立ち場)などの事例をあげています。
▼柳田はまた、本来死んではならない時期(祭の日や農繁期など)に死亡した場合に密葬や仮埋葬を行うことをミカクシミガクシ(身隠し)やカゲカクシ(影隠し)と呼ぶ地域があること、他者に身内の死を伝える場合の比喩(私たちが身内の死を第三者に報告する際に「天に昇りました」などと表現すること)として、仙台では「都に参った」、紀伊半島の東牟婁郡では「オイマイタ(笈巻いた→笈とは旅道具の一つで、旅に出るの意)」、大阪周辺では「国替えした」、愛媛今治では「広島へ煙草を買いに行った」「大阪に○○しに行った」という表現があることなどを紹介しています(柳田 1937)。
▼柳田の業績をみると、「終う、仕舞う」「送る」「隠す」という動詞がキーワードとなっているようです。いずれの動詞も「ここから別の場所に移す」という意味があり、また「笈巻く」「都に参る」「広島、大阪に行く」という表現にしても、死者が「ここから別の場所に旅に出る」ことを思わせ、故人の遺体と魂を別の場所に移すことがすなわち葬儀、葬式であると読み取ることができます。
▼一方、「タチバ(立ち場)」という聞き慣れない表現については、出棺のことをデダチ(出立ち)と表現する地域があり(和歌山紀北地域の一部にもみられる。現代の「出で立ち」と同じ意味)、デダチの場=タチバ=葬式となるのだと思います。そして、タチバも結局は「ここから別の場所に移す」という意味です。

2.現代の葬儀、葬式の呼称

▼では現在、葬儀や葬式はどういう風に呼ばれているのでしょうか。もちろん全国的に「ソーシキ」でしょうよ、と思いがちのところ、必ずしもそうではないようです。澤村は、やはり方言研究の一環として葬儀、葬式の呼び名を分析しています。要点は以下の通りです(澤村 2008)。

オクリ:
・日本列島の端から端まで分布しているが、散在的で勢力が弱い。
・方言分布の様子や文献上の古さから、日本語史上最も初期段階に属するものと考えられる。
・もともと、「オクリ」は葬儀・葬式ではなく葬送を指していたようだが、後年それが葬儀、葬式を示す語となったらしい。

ダビ:
・沖縄及び日本列島の周縁部に分布している。
・相当古い言葉らしく、平安時代の文献に用いられている。
・語源は仏教の「荼毘」であり、もともと火葬を指していたが、後年それが葬儀、葬式を示す語となったらしい。

ソーレイ・ソーレン:
・現在、「ソーレイ」は新潟や九州の一部に分布し、「ソーレン」は主に西日本に分布している。
・言語地理学的には、まず「ソーレイ」が近畿地方を中心に伝播し、改めて「ソーレン」が広まった。
・「ソーレイ」は古代中国の書にその記述がみられ、その後日本に輸入された語である。
・文献上の古さから「ソーレイ」は全国に広まってもよいはずだが、実際の「ソーレイ」とそれが転化した「ソーレン」は西日本にしか広まらなかった。
・その理由は、葬儀、葬式を示す「ソーレイ」が上流階層の言葉であり庶民層に広がらなかったためと考えられる。
・近世になって「ソーレイ」が町人階層の話し言葉として用いられるようになり、一般化した。

トムライ:
・関東地方を中心に分布している。
・もともと、「トムライ」は「菩提を弔う」「後世を弔う」のように死者の冥福を祈って供養するという精神的行為を示すものであったが、近世後期に江戸で葬儀、葬式を示す語となったらしい。

ソーシキ:
・北海道から鹿児島まで広く分布している。
・葬儀、葬式を示す語としては古いように見えるが、第二次世界大戦後の共通語化によって広まった新しい語である可能性が高い。
・「ソーシキ」が文献上に現れるのは近世中期である。しかも、当時の随筆や法令の中に僅かに見られるにすぎないことから、当時の知識階層における文章語であった可能性が高い。
・その後、近世後期になって「ソーシキ」は豪農、商家、村役人などの知識階層の使用語として全国に広がったらしい。

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▼さて、管理人が子どもの頃(昭和後期)、祖父母は葬儀、葬式のことを「ソーレン」と呼んでいました。「今日はソーレンがある」「ソーレンに行ってくるわ」みたいな感じです。当時、田舎の集落における行動原則は何をおいても相互扶助で、村で不幸があると家族から人手を拠出するのが当たり前であったため、「ソーレン」という用語はたびたび聞きました。そして、管理人は大人になるまで「ソーレン」を「葬」だと思い込んでいました。当時、野辺送りがまだ残っており、葬列をなしていたことから、連なるという「連」をイメージしたのだと思います。
▼そんな管理人も社会人となり、もろもろの葬儀に参列するようになって、妻など身内には「ソーシキに行く」、身内以外の外部(友人や職場の同僚・上司など)には「ソーシキに行く」などと表現を使い分けています。単なる他者への配慮や丁寧表現としての意図のほかに、葬儀や葬式を邪険に扱うと社会的評価が下がるからという防衛機制のようなもの、さらにはそれを邪気に扱うと祟るのではないかという漠然とした宗教的信念のようなものが心のどこかにあるのではないかと自己分析しています。なお、大人になってから、「ソーレン」という用語を使ったことは一度もありません。

🔸🔸🔸次回以降は葬儀、葬式の中身に迫ります🔸🔸🔸


文献

●芳賀登(1970)『葬儀の歴史』雄山閣(引用巻頭).
●澤村美幸(2008)「<葬式>を表す方言分布の形成と社会的要因」『日本語の研究』4(4)、pp16-31.
●柳田国男(1937)『葬送習俗語彙』民間伝承の会.

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