見出し画像

自分が生きる世界でとる「あえて」の選択

マイメンでイケてる漢、カワノ(@ryoxxx71)がこんなツイートをしてた。

これを読んでたしかにその通りだなぁと思ったし、いい意味でギャップと呼ばれるにはセンスある選択なんだろうなぁとも。

んでまた、ある世界で大きく何かを変えようとするときにも重要な考え方だなぁと思った。ので書く。「思った」ばっかりなんです、ほんとにさっき。

ある世界(領域)で大きな変革を起こすには常識を疑う必要があります。それは肌感でもわかる。でもその世界の中にいると、そこでの常識に知らず知らずと縛られていたり従来の「当たり前」の土台上で発想してしまうことが多々ある。中にいる人だけではわからない。

だから自分が取り組む世界以外にも身を置き、「ハッとする」体験が非常に重要だと思う。従来の価値観から脱却して考えられるからね。

そうやって「ハッと」して生きていると、自分が取り組む世界の中を俯瞰して「あえて」みんなとは違う選択をしようと考えることがある。

ここでは正攻法ではないけれど、外の世界では全然イケてるやりかたじゃんかと。その世界の中では「あいつ何いってんだ?」と思われることも多いだろうし、あたらしくチャレンジし始めたときに「なんだあいつ、何始めたんだ」と呆れられることもある。期待はずれ。


その世界の中の「期待はずれ」なチャレンジは、けっこうチャンスだと思っていて。不明確ながら自分だけには「こりゃイケる」と信じる未来があり、それが他の人には見えないから「期待はずれ」。

変化の激しいこの時代に明確な未来像を描くことは難しく、自分の納得感を優先したい。逆に、明確な未来像が見える選択は他人の価値観によって作られた未来像なんだと思う。なんだろう、どこかに違和感を抱えたままその未来に向かって歩かされているような感覚。

 参照:明確な未来と違和感、不明確な未来と納得感


単なる思いつきよくわからない選択なら「的外れ」、自分が納得感ある選択なら周囲からみて「期待はずれ」。


おなじ「あえて」の選択でも、むずかしいもんだなというカタチで終わります。僕が生きる世界は、スポーツです。

そんな感じ。

ちな、

このことについてカワノと話したわけではないので、このツイートから勝手に僕が考えたことを書きました。ので彼の意図していることと違うかもしれないです。もちろん茶化すつもりありません(最後の「(自分で言うな」はかわいいなと思うけど)。


それでは。

ありがとうございます。本を読むのに使わせていただきます。