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一日一鼓【2月】

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#若杉栞南

うるさくて、楽しくて、苦くて、ざらざらしている。
神秘との出会いだった。


2年前の春。
トンっという音が確かに耳に響いた。

まるで、金槌で釘を打つような
釘が心臓にのめり込むような、そんな音。

彼女と目が合って聞こえたその音に
一番驚いていたのは、他でもない俺自身だった。

出会いは塾のバイトだった。

頭は良いけど、どこかぼんやりしていて。
つまり考えていることが掴めない。

そんな彼女が夜、講師室でうたた寝していて
ハッと意識が戻った彼女とバッチリ目が合った。

その瞬間に見せた表情は今でも忘れない。

あの音を人は人生で一体何回聞くのだろうか。

21年間恋人がいない訳ではなかった。

好意を寄せてくれる人の横は居心地が良い。
その居心地の良さこそが好きってことだと思い込んでいた。ずっと。

告白される側を2回経験し
2人の女性とお付き合いをした。
そして振られた回数も2回だった。

その勘違いに気付いたのがあの春だった。

21年間で学んだ「恋」というものをはっきりと否定された。

そんな気がした春だった。


もし会う機会があるのなら、今までの恋人たちに謝ろう。

“好きになったつもり”
で彼女たちの時間を奪ってしまったことを謝ろう。


この短い人生で俺は初めて人を好きになった。
そう…初めて。

数字の並びを見たら大抵解が分かるのに
大変嬉しそうだったり大変悲しそうだったり
忙しない彼女の感情を見ても真意は見えない。
解が求められない。
霧をつかむよりは蔦を探る人間だから蔦に触れられる時を待っていた。


でも…いや“だから”気が付いたらもう入道雲が遠くの空に浮いていた。

夏。
気が付いたら街には笹の葉が並んでいた。
五色の短冊にはさまざまな願い事。

もう夏が来たのかと
燻るこの気持ちにも照りつけるこの日差しにもうんざりしていた。

そんな暑さにやられて漏れた言葉。

 織姫と彦星ってさ、幸せだと思う?

どう考えても俺らしくなくて可笑しかった。

思わず漏れた言葉に驚いたのは彼女も同じだったようだ。

 どう思う?
なんて、ハテナが浮かぶ沈黙に耐えられず自ら追い打ちをかける。

 織姫と彦星。年1しか会えなくて、幸せなのかな?

小さいころから感じていた微かな疑問。
別に彼女にぶつけなくたって良かったのに、と後悔していた。

 織姫と彦星。年1しか会えなくて、幸せなのかな?

そんな、小さいころから感じていたけど
どう考えても俺らしくない質問をぶつけたら彼女は

ハハっと笑って俺の顔を見て、またフフっと微笑んで見せた。

あの日の微笑みを生涯の宝として目に焼き付けた。

込められた意味も分からぬまま。

帰り道は捨てられた空き缶や新聞紙、車道と歩道を隔てる花壇の中で枯れている花など見るもの全てに寂しさを感じる道だった。

でも気が付いたら
その全てに目もくれず彼女が溢す言葉を拾うことに全力を投じていた。

 会えたかな?織姫と彦星、会えたと思う?

雨が降ったあの夜もそうだった。

雨が続いて、バイト先に括られた“合格祈願と化した短冊”がしなしなになり始めた七夕の夜。
雨雲が星を隠した空を見上げて彼女は呟いた。

会えたかな?__と。

宇宙で輝くはずの星を心配する彼女が愛おしくてたまらなくなった。
この日が掴みどころのない彼女の手を掴んだ最初の日となった。

彼女が関係性においても彼女になったあの年
週末にコミックを5冊借りるのがルーティンだった。

いつものように迎えた週末。
いつも通りお店に向かう。
いつもと同じ店員さんが
つまらなそうにDVDをパッケージに戻している。

いつも通りの光景。

いつも通りじゃないのは俺だけだった。

いつも素通りしていたDVDエリアの
全くノーマークだった洋画ラブロマンスのコーナーで
大量のDVDを前に途方に暮れていた時

「これ、女の人に人気っすよ」

とDVDを差し出された。
いつもつまらなそうにしていた店員さんだった。

気付いたら受け取っていた。あの、船が沈む名作を。

これラブロマンスに並んでますけど宿命の話なんすよ。貧乏な青年が偶然豪華客船に乗船して、美女が飛び降りようとするところに偶然居合わせて、偶然その船が沈む。それって運命よりもう宿命の話だと思うんすよね。

だから見やすいです。

そう微笑む彼にはここはぴったりの職場なんだろうと思う。