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真夏の君と白いカーテン Episode 2

 白井翔太という名を授かって5年、俺は両親に捨てられた。父は仕事の取引先の女性と不倫し、家を出てしまった。母は一家の稼ぎ頭を失った分も必死に働いたが、精神的にも身体的にもガタがきてしまい、申し訳なさそうに涙を流しながらもう俺を養うことができないと少し離れた児童養護施設へと預けた。


 施設では俺と似たような環境に置かれていた子ども達が一緒に生活をしていた。それぞれ何かトラウマじみたものを抱えてはいたのだが、生活を共にするうちに友人のようでもあり家族のようでもある、親しい関係になり、不自由なく生活していた。ある意味、居心地の悪い家にいるよりも施設の方が生き生きとしていた。施設長も母親のような優しさと愛情を誰一人欠けることなく注いでくれて、地域でも愛される存在だった。俺はそんな施設長を尊敬し、将来自分も施設長のような大人になりたいと心から思ったのだった。


 しかし、中学校に進学した頃には施設という存在が周囲の人間からつけられる自分の評価だということに気づき、それが自分にはあまり良くないことだと知った。普段から一段と親しくしており、施設から同じ中学校へと進学していた三浦悠人がその真実を運悪く直に受けてしまったのだ。俺はその姿を見てしまった。


 一年生の秋の昼下がりの休み時間、気休めのため悠人と廊下で校庭を眺めていると悠人の担任が少し話があると悠人を呼び出し、二人で近くの空き教室へと入っていったのだ。悠人とクラスが違う僕はクラスでの悠人の様子や成績が良いのか悪いのかも知らなかった。親友という間柄でそんなことを気にする必要がないと思っていたのだ。


 そんな訳で、なぜ呼び出しを食らったのかという理由にあまり興味の無い僕は、授業が始まる直前まで待っていようとそのまま校庭を眺め続けていたのだが、すぐさま二人が入っていった教室から怒号が響き渡った。周囲の生徒は本当に聞こえていなかったのか、それとも聞こえない振りをしていたのか分からなかったが、騒ぎ立てることもなくそれぞれ休み時間を過ごしていた。しかし、僕の耳には怒号が聞こえたのは確かで、何をそんなに叱られているのかとどうしても気になって教室に近づいて聞き耳を立てた。



「ちゃんと勉強しているのか?!」

「......してます」

「だったらなんでこんなに点数が低いんだ!勉強してないってことだろ?」

「......いえ、ちゃんと勉強しています」

「この成績なら、高校受験にどう響くか分からないぞ?どんなに勉強してもこの点数しか取れないなら勉強してるって言えないんじゃないか?」



 担任の問いに悠人は答えられないのか沈黙が続く。自分が怒られているわけではないのに身体中に冷や汗をかき、心臓の鼓動が早くなる。そもそも、担任がこんなに怒る人だったとは思いもしなかった。普段から生徒に親身になって接し、比較的生徒からは人気のある教師であった。成績が悪ければ一緒に対策を練ってサポートをしてくれる、そんな姿まで想像されるような教師なのだ。それなのに、地雷を踏んだかのように一瞬にして怒鳴りつける様は衝撃的で僕の思考は止まりかけていた。


 しばらくの沈黙の後、椅子をひく音がして足音が徐々に近づいてくる。反射でその場を離れ、悠人を待っている素振りをしているとドア越しに担任が悠人に嫌みったらしく声をかけたのが聞こえた。



「あ、そうか。君は施設出身だったね。それなら勉強が出来なくても仕方がないか。今回は見逃してやるから、次からは頑張るんだぞ」



 担任はそう言い残し、平然とした様子で職員室へと向かった。直接俺に言ったわけではないが、今にも職員室に乗り込んであんな言い方はないんじゃないかと反論してやろうと思ってしまうほど冷静さを失う寸前の憤りを感じた。侮辱と言わんばかりの憎たらしさに身体が熱くなる。施設出身というだけで俺たちは他人に比べて能力的に劣っているということか?人間的価値が低いということか?こんなの差別じゃないか。そもそも人の価値の基準なんて一体誰が決めるんだ。渦巻くように次々と反論が脳裏を駆け巡る。そして、俺たちの成長を優しく見届けてくれる施設長にも申し訳ない。罪悪感もあり、心の中はごちゃ混ぜで言葉では言い表すことができない。


 しかし、今は悠人のことが心配だ。教室へ入ると座ったままの悠人はズボンの布を握りしめながらぐっと拳に力を入れ、俯いている。悠人の心の中で何を思っているのかは分からないが、どこにもぶつけることのできない感情を震えながら耐えているように見えた。



「悠人......」



 様子を窺うように静かに名前を呼ぶと、涙を浮かべながら縋るようにじっと目で俺を捕らえた。今にも助けの手を差し伸べないと壊れてしまいそうだった。未だ怒り狂う気持ちを抑えつつ、背中をさすりながら今できる最大限の慰めの言葉をかけた。



「悠人、俺と一緒に勉強頑張ろう。俺もあんなこと言われるなんて黙ってられない」

「......僕も悔しいよ、あんなこと言われても何一つ反論できなかった」

「あいつに申し訳ないと思わせるぐらい勉強を頑張って見返そう?」

「そうだな。ありがとな」



 どこか救われたのか、悠人のおぼろげな目つきは少しばかり前を見据えたようにはっきりとしてきた。チャイムが鳴る寸前の最大級の騒がしさを俺たちの沈黙が飲み込むように、何か大きな革命を起こそうとしている気分になった。外では枯れ葉が舞い落ちているのに額から汗が出るほど熱気に包まれて、季節外れだと勘違いしてしまいそうだった。

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