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アオアシ作者のエッセイで気づく人間の生っぽさ

何というか小林有吾先生のエッセイ漫画はなぜか響く。言語化が難しいんだけど地に足ついて一歩一歩歩いている感じがしていて。

よく他人に対して「いい」とか「わるい」とか二元論でレッテルつけるけど、先生のエッセイを見ると、出来ることを背筋をシャンとして地道に積み重ねているように見える。そういう経験のミルフィーユが地肉となっているというか。

アオアシは丹念に取材しているよなあと思ったらWikiを見る限り経験者でサッカーがという経歴でもないらしいことに気づく。けど、先生が書くキャラクターは、なんか現実にもいそうな気がしてて(性格悪い人も含めて)、けっこう生っぽい。

善行のつもりが悪意になったりとか悪意の裏側に家族の問題があったりとか。世の中は全部透明度100%なんてありえなくて、何かしらの濁りが一人一人存在している。

最近実家の関係で朝ドラを見ているが、ディズニー映画のように主人公は善人100%、邪魔をする人は分かりやすい嫉妬で邪魔をしたり、僕らの朝の準備しながらの視聴を意識した分かりやすさで作られている。

でも実際は人間なんて複雑で善意と悪意は相反しつつ共存してて、分かりにくいことこの上ない。でもそれが人間だし、朝ドラのようにわかりやすいタグ付けなんてされてないのが普通だ。

実際は小林先生のエッセイのように、希望と失望、期待と不安、やる気と空回りと、そういう感情があっちに行ったりこっちに行ったりを見ると「僕もそうだよな」と思う。コンテンツなんて「見ている時ほど夢を」という人もいるし僕のように「生っぽさ」に共感する人もいる。だからコンテンツとしてはどちらも正しいと思う。

けど、自分自身はこういう生っぽさに共感を持つ人間なんだなと思わずにはいられない。

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