下諏訪、言葉&行動、文学
今日は移動しながらなので、スマホでプチプチ書いている。未だにキーワード入力以外の技を持ち得ていない僕は側から見たらかなり特異な位置付けなんだろうな。
写真は5年以上も前で恐縮だが下諏訪の風景。毎日寒いのでもう早く春よこい気分ですね。
コトバと行動と
身近な人で行動はピカイチだけど、コトバが足りない人がいて、それはわかってるんだけどついつい悪態を吐く自分がいた。
逆にコトバはそれっぽくいうけど、行動が伴わない人もいる。いわゆる「クチダケノヤツ」である。
よく考えたら「クチダケノヤツ」という生き物は何も結果を生みだない訳で論外だが、コトバが足りないのは、そういうキャラじゃんと理解を示すべきではないかとか考えている。
けど本音はちゃんと思うとか考えを発露してほしいよなあ。と思うのは欧米的な思考なのかな。
日本人特有のノンバーバルコミュニケーションについて、調査とか論文とか学生時代に意識しておくべきだったわ。
「文学にするな」
ぜんぜん違う環境に身を置くことは、非常にストレスフルだが得るものも多い。しかも環境や文化が大きく異なるほどギャップが大きいので得るものがたくさんある。
何年か前に通っていたところもそうだったが、位置付けが情報システム部門の企画部的なところであったので、正確性や論理性、実施背景などを明瞭に語られない人は生きるべからず的な文化であった。
その部門のトップは厳しくもあり、叱るところとフォローするところの勘所が素晴らしい方であったがその人の口癖が「文学にするな」であった。
要は論理的にドキュメントを書けよの比喩なのだが、文学は読み手によって受け取り方が違うこと、そのメリットをここでは使うなという意味もあつわけだ。
そりゃ情報システム部門で文学しちゃダメだよなという納得性と、パワーワード感があって、その言葉が異常に耳に残っている。
お互いのコミュニケーション活性化のため、スキ・コメントお気軽に、よろしくお願いします。