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文化が終わる時代を傍観する

最近クリエイティブ領域から遠くなっているので場末の人間がどうこう言える立場ではないといいつつも、少しでもタッチポイントがあった人間だから触れないのもどうだろうと思い取り上げる。

細かい話やなぜ継続しないかという背景は上記記事を読んでもらえればいいと思うが、少なくとも「国としてはメディア文化を優先しない」という意思表示というのは明確なんだと思う。メディアというとぼやけるけど、クリエイティブ業界全般もそうだし、CoolJapan的なカテゴリにおいても向かい風になるのだろうなと。そういう流れは例えばこういうところにも一つの傾向が見えてくる。

直接的な関係は当然ないのだが、メディア・クリエイティブ業界の観点から見たときに電通というのは、一番大口の看板媒体と思ってて、その業界に対して国を通じ検察が「待て」というアクションを取るというのは何かしらの意思があるだろう。これは完全に想像だけど、メディア・クリエイティブにおける虚像の領域において、ストップをかけたい誰かしらの意思があるんだろうなと。

個人としては2000年に東京に引っ越して、クリエイティブの夢心地の業界感にほだされて、広告業界における「いろは」を学んだ時期があった。いまとなっては、その技のいい面・悪い面を後日知ることになるのだが、当時の自分としては、クリエイティブの技を用いていろんな人に商品等を認知してもらうことに心血を注いでいた時期もあった。当然、見た目の良し悪しでは実際の事業の良し悪しを是正することはできないわけだが「発信者の思いを正しく伝える」という意味では、その技術は少なくとも役立つものでもあった。

それと同時に、広告業界における「出稿量における暴利」というのは当時でもあって、それが強いが故にTVこそが強者という業界特性が形成されたといえる。いまや、そのアラジンのランプは油がなくなったが故に、検察介入を受けるほどまでに政治力がなくなったんだろうなと外野から見ていると感じてしまう。

引いてみて気づくのは、今回のメディア芸術祭の終了の背景って、クリエイティブにおける国おける効果の持続ががなくなったから切り捨てられただけでしかないようにも見えるし、その割にそれ以外のアラジンのランプの油の点火先はあるように見えないとも言える。思うに日本のクリエイティブ力の総量は、今今も高いのにも関わらず。

なんだろうな。日本における独自のクリエイティブ文化というのは、江戸時代における元禄と同じでかなり特殊な時期を過ごしていて、その特殊性が故に、面白いアウトプットをここ50年ぐらい形成されていたんですよね。元禄といえども1680~1710年の30年なので、かなりの長期において面白い文化形成を行っていたんですよ。

けど、いまのいろいろな流れを見るに限り「文化的に面白い」という時代性は今回の話を見ても終焉を迎えていて、おそらくはこの流れには逆らえないんだろうなと思っている。思うにここ10年の自分の動きでいうともう少し、クリエイティブというより「地道にコツコツ」にシフトしているのも動物的な感性から安全に行こうと感づいて変えているのかもしれないけど。

とはいえ、クリエイティブにおけるワクワク・ドキドキにおける麻薬性もわかるし、それに助けられたことも過去多くあるわけで、いまの文化的衰退をポジティブに見れるわけでもない。正直口惜しい気持ちなのは正直なところ。しかし、業界全体を見るにガス欠な感覚も見え隠れするのを正直僕は傍観するしかないのだ。残念ながら。



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