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敗北のスポーツ学から見えてくる生存戦略

今日はいろいろあり移動中。そして移動時間はnoteを書く時間になりがちだ。この記事を書き前に「できる人は書く技術に自己投資している」という文面を見て自分の書く技術の未向上は投資不足なのか?いや読み手への意識不足の方が大きいよなと悶々としつつ。

話題を変えます。先日、敬愛する小澤さんのYouTubeを見てて面白い対談がありました。

詳しくは動画を見てもらえればですが、スポーツ選手にありがちなキャラクターではなく、どちらかと言うと経営者とか僕らの業種に近い印象を持ちました。なんというか引いた目線や戦略的な思考というか、そういうところがです。

自身も屋号的にはデザイン部門で20年以上勤めている身としてベースはエンジニア脳であることは変わらないので、まあ組織としてはマイノリティな訳です。ぱっと見不利に見えるのですが、競合が少ないため組織で見ると実は重宝されるし、デザインという面で戦うこともないので悪い意味で馬脚が云々ということも少ない。そういう意味で立ち位置として有利に働くよなと思う時もあります。

井筒さんの場合もスポーツ選手なのにスポーツで成り上がるのではなく違う視点を持っているところが興味深い。さまざまな視点や視座はそれを持つだけで物事を有利に進めることが出来るので、この能力は日々ここでも書くことは多いけど、持てる人は持つべきだと思います。

あと個人的に面白かったのは、スペインのバスク地方というそれこそ鳥取県の人口ぐらいしかないのにスペインリーグ一部で半分の地元民がレギュラーなのかという問いに対する答えが、「必要だからだ。necessary(necesario)」と返された話。よくマーケティングにおいて数は力だの論理を好むが、一番になることではなくある環境で生き残ることを目標とするならば、戦い方を頭で考えれば方策も浮かぶはずだ。

こう追い込まれる中「論理的思考で考えること」「具体的なイメージを想起すること」「自分も相手もニッコリすること」をゲーム的に想像して行動して結果も出る流れって何回やっていても楽しい。個人的には高い目標というよりかは身近なことを少しだけ寄りそうことで、少しだけ良くなるという感じが好きだ。なので非現実的な目標とかは苦手だし、○○で一気に解決とかいう詐欺師まがいの言説はいくつになってもダメ。

なんというか今までの人生も結果的に地続きだし、それは未来も同じわけで、歩きを急に車に置き換えるのは性分じゃないんだろうね。けど、井筒さんが推し進めるような2026年に世界一という冒険も見てる分には楽しい。こう自分に合う合わないというのと他人の挑戦に対してエンタメ的に見るのとは違うのでしょうね。そういう意味でもCriacao Shinjukuは応援していきます。

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