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自分の中で考える習慣

こう齢を重ねた人からの言質というものは、いつでも多くの気づきを与えます。先程、以下の記事を読んでいました。

世界は見方によって、「対人の世界」と「対物の世界」に大きく分かれています。「ひとりで寂しい」というのは、「対人の世界」の話のことです。
実は今回のコロナ禍で、困っているのはみな、「対人の世界」の住人です。レストランにゲームセンター、カラオケに居酒屋。こうした“対人”サービスが苦境に陥っています。
くらべて、「対物の世界」、農家さんや漁師さんの生活はそれほど大きく変わっていないように思えます。
ぼく自身も、毎日、朝から虫を見て「対物の世界」に生きています。すごく平和ですよ。野山に虫を捕りに行っても誰にも会いません。田舎の山の中なので、出歩いていても、自粛自警団に叱責されることもありません。(養老孟司氏、「将来の夢はYouTuber」の子供達に伝えたいこと

「①対人の世界」「②対物の世界」。おそらくもう一つを加えると「③自己の世界」の3軸でしょうか。養老さんはこうは言いますが、世の中の人は、この3軸の中で「(A)居心地がいい」「(B)どちらでもない」「(C)居心地が悪い」の3つの評価を個人個人が判定して、より居心地のよい世界に行こうとするのでしょう。

また、人によっては「他の世界」を知る機会がないために、実は居心地がよいことを知らずに苦労している人も多いのかもしれない。

個人的に「他の知らない世界を認知していない」ということは、機会損失と言う意味では必ず知るべきだと感じているが、知っている人に対して「この世界は素晴らしいから来るべき」と強要するのは、また別なんじゃないかと感じている。

けど、養老さんの言われている「自分の中で考える」という習慣は、必要です。人の受け売りを信じて騙されるから「他責」をすることで逃げてしまうわけです。自分で考えて判断すれば、他人を責めるより自分を責めるだろう。その反省や失敗が肥やしになって、次の経験へとつながっていくと信じています。

不器用でも、一歩一歩。

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