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「〇〇ではない」って何だろう

日々素敵な記事を発信している、ウェブメディアsoarさん。

今日読んだ記事も、感じることが多くて色々な人に紹介したくなる。

「すべてのLGBTが自分らしく働ける社会の創造」を目指すソーシャルベンチャー、株式会社JobRainbowをつくった星賢人さんへのインタビュー記事。

星さんが振り返る幼少期、セクシュアリティを自覚し始めた中学生時代、教室という箱の外で出会えた信頼できる仲間の話など、丁寧に綴られている(soarさんの記事を読むといつも“丁寧に〇〇されている”と言ってしまう)。

素敵な取り組みだなあと、そしてsoarさんの記事の価値を改めて感じる。

一方で、本筋とはまったく関係のないことがちょっと気になった。以下、最初だけ引用するけれど記事自体の内容とはまったく関係のない話。

「ではない」に浮かんだ疑問

私はLGBTの当事者ではありませんが、これまでに知人からカミングアウトされたことがありますし、もしかしたら言えずに苦しんでいる人が周りにいるかもしれません。これから自分の子どもたちが、セクシャリティに悩むことだってあるでしょう。
当事者でない私はどんな意識を持てば、社会の可能性を拡張することにつながるのでしょうか。

取材者の方の「私はLGBT当事者ではないが」という言葉が、ふと気になった。

おそらく、「LGBT当事者ではない=レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーではない」という意味だと思う。

先にはっきり言っておきたいのは、気になるというのは悪い意味ではないということ。「他人事だと思っているんじゃないのか」などそういう揶揄ではなく、「当事者ではない、そもそも〇〇ではない、ってどういう意味なんだろう」と純粋に不思議に思った。

最近自分のセクシュアリティ分析をしてみたからか、私はわたし自身のセクシュアリティに近そうな言葉を知ることができた。

だから、「LGBTかそれ以外」「当事者かそれ以外」という括りにしっくりこなくなった。

もし自分が先の「私はLGBTの当事者ではありませんが」を書く立場だとしたら、おそらくこう書いていただろう。

「私は自分をLGBTのいずれかだと感じた経験はありませんが」

まわりくどいのでNGの感はあるのだが、「LGBT当事者ではない」かどうか、自分のことだけれど自分ではわからないのだ。

Lは今のところなさそうなんだけどGやTは完全にないとは言えないし、というか完全って何?どこからが当てはまってどこからは違うの?自認次第なのでは?とぷわぷわ疑問が浮かび上がってきて頭がパンクする。

そのぷわぷわから派生して、「そもそも〇〇ではないってどういう意味なんだろう」と気になり始めた。

いろいろな「〇〇ではない」

〇〇ではない、はたくさんある。

あなたもう新人じゃないんだから
被災者ではないので
あまり深い仲ではないので
後ろ向きな人が好きではないので

〇〇じゃない、〇〇ではない。いろんな人の生活のなかにあるさまざまな例を集めたら面白そう。

これらのことばを使う人は、何を言いたいのだろうか?心のうちでは何を思っているのだろうか?

言葉通りだ、という気もしてきたのだが、まずは「△△である」と関係していると思う。

あなたはもう新人じゃない。これはたぶん、そろそろ自分で判断して物事を回す段階に入って欲しいということ(新人の定義は業界によって違いそうなのでここでは考えない)。

被災者ではない。これは主語が一人称だった場合、被災者ではないので現場の大変さがわかっているとは言えませんが…といった、遠い場所の現実を想う言葉かもしれない。

あまり深い仲ではないので。これはきっと、その人のことをよく知らない理由としての言葉。それ以上詳しく聞かないで欲しいといったニュアンスもありそう。

後ろ向きな人が好きではないので。これはたぶん、どんな人が好きなのかを言いたいはず。前向きな人が好き、思考の切り替えが柔軟な人が好きなど。

「ではない」は「である」の裏返し?

こうみると、「〇〇ではない」は「△△である」の裏返しなのではと思う。

自覚があってもなくても、「ではない」から見える「である」があるんじゃないだろうか。

NVC(Nonviolent Communication)を練習していたとき、たとえば「あなたは優しくない」を「あなたに〇〇と言われると、〜と感じる。でも私は**でありたいと思っているので…」と置き換えてみるようにしていた。

観察、感情(どう感じているか)、ニーズ(何を求めているか)、リクエスト(どうしてほしいか)の4要素。

「〇〇ではない」について不思議に思い、発話者が本当は何を意味したいのか考えるにあたって、この4要素のことをふと思い出した。

思い出したのだけど、書いているうちに終着点が見えなくなってしまった。私の脳みそ…。

ご覧の通り元々の記事とは離れたことを考えてしまったのだけど、「〇〇ではない」について気になったので引き続き考えてみたい。

ここ数日これについて考えていたら「当事者」という言葉に関する本の情報や記事を目にすることが増えた。つながっている気がする。

中途半端な終わりに

書けば書くほど、感じたことを言葉にするのは難しいとわかる。ちがう!そうじゃないんだ!と言いながら今の自分の思考力の限界を目の当たりにしてかなしくなる。逆に、言葉にできるかどうかなんて大したことない、と開き直りたくなったりする。

日々そんなことばかりで、「?」や「!」はぷわぷわと浮かんでは消えていく。消えないうちに書いているつもりなんだけど、最初の一瞬に感じたことの4割は失われている。

それでも、つかみたいのだろうな。何を感じてそれを人に伝えるにはどうしたらいいのか。 

毎日のnoteで、少しずつ。

だれかや何かのためじゃなく、それもできたらいいけれど、まずは自分がつかみたいから。

靄のかかった心のうちを見るために、ことばを追いかけていこうと思う。









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