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シェアに込めるものと込めないもの~#シェアめぐり してみたい~

わたしはnoteがすきです。

1日坊主になることが多く、何かを習慣化するには相当の工夫が必要ですが、noteはぽつぽつ続けられています。

書くハードルがほかの媒体よりも低く感じられて、それでいて書かないことも選べる場所だなあと思っています。

なにより、noteを書いている方の世界をのぞくのが楽しいです。

育児やお仕事のこと、創作、エッセイ、イベントレポ、イラスト、音声など、色とりどりの投稿であふれています。

今回は「他者のnote」について、「シェアと帯」に焦点をあててみようと思います。最後にちょっとしたお願いも…。


帯をしめていてよかった

先日、あきらとさんが#記憶すけっちまつりnoteで嬉しいことを言ってくださいました。

丁寧で真摯な帯がとても素敵に感じる方。
昨日ちょうどそんな話をしましたが、ほんとに困ったときはあなたのタイムラインを漁ろうとしています笑


帯しめていてよかった。そう思いました。


どなたかのnoteを読んだとき、ほとんどシェアをするようにしています。

2月頃まではあまりしていなかったのですが「読んだnoteは基本的にシェアしてます」という方がいて、それは素敵だ!と単純に真似を始めました。

そして先日、上のような言葉をいただいたので「自分はどんなつもりでシェアをしているのか」を考えてみようと思います。


私のシェアにおける優先順位

私はテキストnoteを読むことが多いので、その前提のもとに考えてみます。

文章が長めのnote、短めのnote、さまざまありますが、シェアする際にはこのような優先順位をつけている気がします。


①勝手な理想:引用1かたまり+帯(引用箇所から感じたこと)

引用はできればしたいです。特に印象的な部分を引用します。

自分がひとまとまりと感じた範囲と、書き手さんがひとまとまりと感じているであろう範囲を探って、極端な切り取り方にならないようにしています。

noteの内容によるのですが、「これはもうこの一文だ」と迷いなく選べるときは、その一文を引用します。

帯は引用箇所から感じたことを書いています。

引用箇所への賛否(”否”を書くことは元々ないだろうけれど)ではなく、できるだけ「そこから自分が何を考えたのか、何を感じたのか」を書くようにしています。

自分の経験とのリンクだったり、「~というようなことを考えたい」という何かへの入り口表明だったり、書き方は模索中です。


②次点でこれ:帯のみ(書き手さんに伝えたいこと)

皆さんお好みがあると思うのですが、私は次点で「帯のみ」です。

使える文字数が潤沢にあれば、①の「引用+帯」にしたいのです。でも引用したいところがどうしても長めの文章、あるいはタイトルが長めで残り文字数が元々少ない場合があります。

そういうときは全体をもう2度くらい読み直して、両頬を手のひらで包んで考えます。

書き手さんに伝えたいことは何?

上を向いたり目を瞑ったりしていると、何かしら出てきます。それでも文字が足りない時は「もっとコンパクトに…伝えたいことは…」を繰り返すと、6文字くらいあればなんとか言葉にできます。最終的に「素敵。」となることもあったと思います。


③理由さまざま:引用のみ

そのほか、少ないですが引用のみをすることもあります。

ここに痺れました…とお腹を見せる感じが多いです(お腹を見せる、って犬と暮らす人間特有の表現なんでしょうか?あまり見かけない)。

あるいは「自分が感じたこと」をまだちゃんと納得のいく言葉にできない時。引用だけさせていただき、「ここが心に残ったの」とだけ伝えたいという想いもあります。


④「私」を消したい:シェアのみ

こちらも少ないのですが、シェアのみのこともあります。単純に多くの方に読んで欲しい、という気持ちに基づくことが多いです。自分の考えたことを届けたいという気持ちは薄く、ただ自分のシェアによって誰か他の人の目に触れて、読んでくれたらいいな…と思っている気がします。

あとはタイトルが引きの強そうなものの場合。シェアするだけで十分インパクトがあれば、何か書こうという気にはあまりなりません。


シェアに込めたいもの

いつもどのようにシェアをしているか、傾向をふりかえってみました。

こうして優先順位で考えてみると、私は「書き手さんに伝えたい」という気持ちが大きいのだなと思います。

シェアをすれば通知がいくでしょうから、もし見てもらえるとしたら「ここがこんなふうに印象に残りました」「自分はこうしてみようと思います」というメッセージを届けたい。

それが私のシェアにおける一番の目的だとすると、方法は自然と①~③の順番になります。

ただ④のように、「私を消していいや」「ただシェアする1人になりたい」と思うこともあり、その時はシンプルにRTやシェアのみにしています。


シェアに込めたくないもの

シェアに込めたいものが「書き手さんへのメッセージ」だとしたら、込めたくないものはなんだろう。こっちのほうが具体的に書けそうな気がします。

・演説にはならないように

何かを正しいとする、「演説」にはならないようにしたいと思っています。賛否を表明するという書き方を避けたいともいえます。「好き」と「正しい」を混同しないようにしたいというか…。演説なら演説をするべき場でやりたいなと思うのです。私が普段読んでいるnoteがそもそもそういったタッチのものでないという傾向も関係しています。

あと、自分自身の思考の傾向として「正しい・正しくない」でものを考えるのが苦手なんですよね。「面白い・面白くない」や「視野がせまい・広い」で考えることはできるのですが、「正しいかどうか」って、状況と焦点によると思うのです。

正しさをもって何かを守ったり戦わねばならないときもあるとは思います。

その時はそれなりの説明責任が生まれると思っているので、大きすぎる主語や小さすぎる主語になっていないか、状況と焦点に目を向けられているかどうかを点検しようと考えています。


・書き手さんを利用しないように

書き手さんの言葉は、書き手さんのものです。

帯をつける際、自分が何を考えたか・感じたかを書きたいとお話ししましたが、書き手さんの文章を利用した「自己表現」はしないようにしようと気を付けています。

こう言いながら、本当に気を付けられているかどうか自信がないシェアもあります。「おいおい、書き手さんはそういう意図で書いてないんじゃないかい」と思うことがあれば、優しく教えていただけると嬉しいです。


まとめ

ちょっとまとめてみます。

【シェアに込めたいもの】
書き手さんへのメッセージ 
【シェアに込めたくないもの】
 演説、利用


おそろしくシンプルになりました…。
短く書けるんですね。

こんなふうに書いても、きっと例外がたくさんあると思います。

「素敵!ぜひ読んで!」といった書き手さんへのメッセージなしのシェアもどこかでしている気がします。

ただ、実際にできていなくても「読ませてもらいました」と存在をお知らせしたい気持ちは強いのです。

今思ったのですが、サイン会とかに行ったら熱くて重いタイプかも…。

私からよくシェアされる方、RTされる方に、重すぎる想いを感じさせてしまっていたらごめんなさい……でもやめません…。


みなさんのシェアをめぐりたい

さて、最後にお願いがあります。

私は連携しているSNSで流れてきたnoteをslackにためていき、読みたいものから読んでいくという方法をとっています。

最初はnoteタイムラインから見るのみでしたが、シェアされているnoteは自分がなかなか見つけられそうにない分野だったり、「この人が読んだなら読みたい」と思ってしまうことが多いです。

そして実際、そうして知ったものは面白いと感じることがほとんどです。

今回自分がどのように考えてシェアをしているかを書いてみて、他の方のシェアについても知りたくなりました

「直感とセンスだよ」「シンプルにシェアだよ」「〇〇の要素は外せないよ」など簡単にでも嬉しいので、“わたしのシェア”を皆さんからも教えていただけないでしょうか。


そして言ってみたいだけなのですが、「#シェアめぐり」というハッシュタグなんてつけていただけたりするでしょうか。

なぜ“めぐり”かと言いますと…私は写真家・齋藤陽道さんの『声めぐり』という本が大好きなのです。以前この本の感想noteも書きました。

そのタイトルにあやかって、いろいろな方のシェアについて、”考えをめぐっていく”ような体験ができたらなあと思っています。

書いてもいいよという方は、このnoteを投稿に埋め込んだり、このnoteはツイッターにシェアするので、そちらにリプをいただけたりしたら嬉しいです。

きっとあ○らとさんとか、あき○とさん含め、3人くらいは教えてくれるのではと期待しております(虚勢にしても少ない)。

ちょっとどきどきしてきました。
でも大丈夫。めぐれてもめぐれなくても、
私はまた粛々とシェアをするのみです。

みなさんのナイスシェア、お待ちしています。



#シェアめぐり



















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