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noteのネタはどこから来るのか

最近、聞かれることがある。

note書くネタって、どういう時に出るの?
毎日書くのに、ネタ切れにならないの?

たしかに。このネタと呼ばれるものはどこからやってくるのだろうか。私も知りたい。

最後まで読んでくれた方はぜひ教えてほしい。


私のネタ発生パターン

自分では、ネタを無理やりつくっている感覚があまりない。

むしろ、「毎日書く」と決めてからのほうが思いつくようになった。

自分の整理のためにも、思いつく時のパターンを書いてみようと思う。

1. 人のnoteを読んだとき

読んで字の如く、人のnoteを読んだとき。フォローしている人やTwitterで流れてきた人のnoteを読んで、自分も書きたくなることが多い。

まったく同じテーマというよりは、右斜め下に30°くらいスライドして思いつく。

だからきっかけを与えてくれたnoteを後から読むと、「なんで自分、こっちにスライドしたかな…」としょんぼりすることもある。

でも誰かの言葉をきっかけに自分がその時必要なことを考えるというのは、結構好きな時間だ。


2. 本を読んだとき

本の感想を書きたい時もある。

「書きたい」というのは、実は書きたくても後回しにしてしまったり、文章化するのが面倒だったりすることがままあるからだ。

だから読んでいる量に対して、感想を書いている本が少ない。

でも読んだ時の感動、人におすすめしたいところがたくさんある。

これは近いうち解決策を見出したい。


3. 嬉しかったとき

嬉しいことがあったとき。

温かいコメントだったり、応援してもらったり。嬉しい気持ちが芽生えると、それを書きたくなる。

noteを読んでくれる方にとっては、直接関係ないことだ。私がいつ喜び、いつ悲しもうが知ったことではない。

それでも書いてしまうのは、自分のため。

こんなことで嬉しかった悲しかった、複雑な気持ちになった。

日々の感情を残しておきたい。それが私の感性になっていく気がするのだ。


4. 弱さを感じたとき

私のnoteは、強くない。

ゴリゴリとかマッチョというエッセンスは前世に置いてきた。

自分の弱さを自覚した時に書いたnoteもある。

だからなよなよしく見えるかもしれないし、センシティブ、今風に言えばエモーショナルに見えるかもしれない。

たしかにそうだなと思う一方、私自身はかなりドライに書いているつもりだ。

かなり真顔で書いているし、電車内のスマホ操作で書いている。

つまり、泣きながら書いたりはしてませんよ…と言いたいところだったが、ちょっと思い出し泣きしたこともあったな。うそでした。

何が言いたいかというと、誤解を恐れず言えば「この弱さは使える!」と思った時だけnoteに書いている。

自分による自分のための自分だけの弱さだなと感じる時は、結構落ち込んでいるのでそもそもスマホを開けない。

一方「ほかにも同じこと感じる人いるんじゃないかな」と思う時は、俄然やる気になる。弱さを自覚したはずなのに、急に強気になる。

このパターンが1番多い気がする。


みなさんのnoteはどこから来ますか

noteユーザーのみなさん、ぜひ教えてほしい。

どんな時にnoteを書こうと思うのか。

最後まで書いたnoteは、下書きに残ったnoteと何が違うのか。

最後まで書いたけど、書き切ったという感じがしないnoteはあるかどうか。それはどんな内容か。

あるいは、これからnoteを書くとしたらどんなふうに書きたいかなど。

自分が書いてないことばかり言っているけれど、教えてくれる方がいたら嬉しいな。












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