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私がnoteを書く理由

「書いててよかった」と思うことがある。

スキがついたとか、サポートをいただいたときではなく。もちろんそれも嬉しい。

でもそれ以上に嬉しいのは、「文章に乗せている想いが、伝わってたんだな」と思えるとき。

しかも、そのことを教えてくれる人は、私が気づいていないことまで感じてくれていたりする。

だからこの投稿の結論を言うと「この喜びを知ってしまったから、書きたいと思う限り書いていきます」ということ。そして私の書くものを「書いている」人は私1人じゃない、ということ。

書くことで想いが共鳴する

先日からTwitterやFBでシェアしている「セクシュアリティ分析anone,」というサイト。いろんな人に届くといいなと思っていた。

そうしたら昨日、メッセージが届いた。

わかめ久しぶり!Facebookでシェアしてたanone,ってサイト、最近自分で違和感持つことが多かったから、知ることができてすごくありがたかった!ありがとう〜!(っていう、使ってみた報告したかっただけ 笑)

大学の先輩で、対面ではずっとお会いしてない。それでもわざわざメッセージをくれて、そのあともサイトを使ってみた感想を教えてくれた。

そのやりとりの中で嬉しかったのは、セクシュアリティ分析をしようと思った理由や結果についての話を教えてくれたこと。ではなく、こういう言葉だった。

最近自分の中で女性的な指向?に気づくようになってきて、今回結果としても出た時にやっぱりそうなんだなって。と、わかめには気軽に言っていいような気がしている 笑
わかめは深刻すぎず軽すぎず受け止めてくれる感じがするからね。note見ててもそんな気がして。

anone,は自分が本当にいい・好き!と思ってシェアしたので、それが届いて嬉しい。

そして、自分のスタンスというか在りたい姿を文章に乗せることができてたんだなと感じた。

自分でも言葉にしていなかったものが、誰かの心に届いている。言われてみて、そうだそういうことを大切にしたかったんだと気づける。

さっきから「想いを“乗せる”」と書いているのだけど、これは“載せる”の間違いではない。

載せるは、物。乗せるは、生き物。そのつもりで書いている。

自分の想いが、言葉という形あるものに乗って、生き物のように遠くまで行けたらいいなと思っている。

案外身近な人に、ぽんと届くかもしれない。

遠くの知らない人にも、届くかもしれない。

だから私は、noteを書くのだと思う。想いが届くといいなと願って。

最近ずっと感じるのは、人と人のつながりは「響き合い」だということ。ポジティブなつながりであれそうでないつながりであれ、人の想いが響きあってつながっていく。

私の場合、書くという方法で自分の響きを表すのが好きなのだろう。文章でなら、響かせることをあきらめずにいられる気がしている。

「書いている」のは1人じゃない

さきほどの話に登場した先輩ふくめ、時々いるのが「あなたのnoteを読んでいると自分もなにか書いてみたくなる」と言ってくれる人。

そんなこと言ってもらえて幸せだな〜嬉しいな〜という気持ちが清らかな水のように心身に沁み渡るのは言うまでもなく、それを聞いて思うことがある。

「書いている」のは書いた人だけじゃないよ、ということ。

私の書いたものは私だけが生んだものじゃない。そうやってコメントをくれたり、自分も書いてみたいという気持ちを言葉にして届けてくれる人がいるから、生まれる。

「読んでくれる人がいることが、書く励みになってます!」という意味ではない。

書く人/読む人という別々の役割じゃないのだ。 

読んだ人がくれたメッセージが、書いた人の心に残る。そしてまた、何かを書きたくなる。そのときのその人は、メッセージをもらう前のその人と同じ人物ではない。

読んだ人が、書く人をアップデートしている。読んだ人は、「書く」人の一部になっている。

書いた人の名前が「あおやぎわかこ」だとしても、そこには何人もの人の存在が一緒にあって、「何を書こうか?」とともに考えているのだ。

だから私は、「書いている」のは文字通り、1人じゃないと思っている。

私のnoteが続く理由

ここで書いたことはきっとまた読み返すだろう。だから、今日の私が思うことを最後に書いておきたい。

私はどうしてnoteを書くのだろうか?

日々、「書く」ことについて自分の未熟さに落ち込んでいる。

伝わりやすい文章が書けない。
構成の工夫が足りてない。
そもそも、こんなこと書く必要があるのか。

できないことばかりが目につく。

すぐ他人と比べる。

それでも書くのはどうしてか?

それは、伝わりやすい文章が書けないから。こんなことだからこそ、書くべきと思うから。

だめだだめだ、と落ち込む時は、また書きたくなる手前の瞬間。「こんなくだらないこと…」と思う時は、それを残したいと思っている瞬間。

そしてこの世には本当にたくさんの人が、「書いている」ということを感じるから。読んでいる人も書いている人もたくさんいる。読んでいる人も、書いている。

つぶやきも、熱のこもった想いも、幸せも葛藤も。今日も誰かが、言葉を探し、編んでいる。

そこに出会える場がnoteだから、私は書いていくのだろう。

今日もさまざまな言葉に出会えますように。

電車の中で、そう願いながら書いているあなたのお隣が、私かもしれない。









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