特性はその人の全てじゃない

私は、視覚障害をもつ人がたくさんいる職場で働いています。
彼らはその職場において、主に視覚を使わないプロとしての仕事をしていて、見える人も見えない人もフラットに接する環境です。

私自身は目が見えるスタッフですが、フラットとは言っても見えないスタッフに対して、最初はどう接していいかわからない場面が多々ありました。今でも迷うことはあります。

ただ一緒に1日1日を過ごしていくうち、「障害」という言葉に違和感を持つようになりました。

その違和感の正体が最近わかった気がします。
そして、そこに納得感を与えてくれた記事も併せて紹介したいと思います。


NPO法人どーもわーく・宮脇さんの記事

いつも愛読しているsoarさんに、また素敵な記事を発見。

「吃音」「自分らしくいられる仕事」という見出しの言葉に惹かれて、記事を開きます。

記事に取り上げられていたのは宮脇愛実さんという方。吃音がある方の就労支援などを行うNPO法人どーもわーくで働かれているそう。

記事では、宮脇さんの幼少期から学生時代、現在に至るまでが丁寧に綴られています。

ただ、その過程には「吃音当事者」としての宮脇さんの気づきや劣等感、生きにくさがあったそうです。

文章を読んでいて素敵だなと思うのは、ただ「吃音で苦労しました」という大変さが前面に伝わってくるのではなく、ご自身の感じていたことを深く感じ直しているような印象を受けるところです。

生きにくさもあるけれど、学校の先生やお友達など、その時々印象に残っている周囲の人とのかかわりも、読者に想像させてくれる書き方だと思いました。

そんな記事の中で、特に私が惹きつけられたのはここ。

「吃音はその人のすべてではないんです」
宮脇さんがこう繰り返すのを聞いて、どんな特性もその人の一部でしかないのだということ。
自らが考える「自分らしさ」を追い求めて良いのだと、改めて実感させられました。

そう!そうですよね松本さん(soarライターの方)!と力強く頷きました。

私がこの頃感じていた違和感の正体は、ここにあるんだと思います。

完全な暗闇の中で、“視覚障害者”のスタッフに手を引かれた時、安心感があるのは前から感じていました。彼らは見えない世界のプロだから。でも、日々を過ごしていて思うのは、もうひとつ大きな目で見て気づくこと。

「見えない」ことは、その人のパーソナリティではない。もっと正確に言うと「見えないこと『だけ』がその人のパーソナリティではない」ということです。

自分に置き換えてみたら自然とわかることかもしれません。

もし明日目が見えなくなったとして、それまでの私はすべてなくなり、“視覚障害者”に変身するのでしょうか?

そんなことはないはず。もちろん、生活の仕方が大きく変わることは予想できます。人とのコミュニケーションの取り方も。

でも、好きな音楽や好きな人、思考の癖、人格、好きな食べ物、好きな映画…今まで自分らしいと思っていたものが、自分からすべて離れてしまうことはあまり想像できません(もちろん、見えないことで変化することや新たに獲得するものはたくさんあると思います。当事者のお話を聞く限り)。

そう考えると、生まれながらに「見えない」場合でも、その人はその人の環境で人格形成され、学び、泣き、笑い、怒り、悲しみ、面白がり、楽しみ…つまりいろいろな経験から、様々なパーソナリティを育んでいるはずなのです。

単純に話せばわかるのは、たとえば趣味がいろいろあったりすること。「えっ、それって目が見えなくてもできるの?」と、「見える世界」にいる者からしたら意外に思える趣味をもっている人もいます。

仕事をいろいろ精力的にかけもちしている方もいますし、元気いっぱいのお子さんを育てながらお仕事をしているお母さんもいます。

だから“視覚障害者”という特性ひとつをその人のパーソナリティだと思ってしまうと、それはとても狭く、つまらないことになるのではないかと思うのです。

いや、本当はこの後半部分をもう少し言語化したいのですが、なんといえばいいのかまだ私もわかりきっていません。

「その特性ひとつをその人のパーソナリティだと思ってしまうと、それは……(←後半)」

「それは」以下を、もっと納得感のある言葉にして伝えたいのですが、私にはまだ難しいようです。

そこはまたこれから考え続けるとして、この気づきからお腹にすとんと落ちたのは、「どんな特性があっても自分と同じ、人間なんだ」ということ。

もちろん、特性の内容によっては、「人間とは…」と深く考える場合もあると思います。

でも特性、例えば障害と言われるようなものがあってもなくても、人にはそれぞれできること・できないことがあるし、だからこそフラットに助け合えばいい。

自分にない特性をもつ人から知ること、学ぶことはたくさんあります。私の今の職場も、日々驚きと発見、おもしろさに満ちています。

でも、特性=その人のすべてではないのです。
それは周囲の人への見方を立体的にさせてくれると同時に、自分が「特性」をもっていることへの見方も変えてくれます。

実は、「吃音」はわたしにとっての自分の特性でもあります。今回思ったことと、別の記事から思ったことをあわせて、またご紹介しようと思います。

大切だと思うことに改めて気づかせてくれた、
宮脇さん・soar松本さん、
ありがとうございました。

#soar #吃音 #障害 #とは #君のことばに救われた  




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