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【10歳】辛い(大切な)時期

タイトルにもあるとおり、

この頃は私にとって辛い期間でした。

ただし、結果的には今の自分を作る上で

とても大切な時期でもあり、今はこの時期を辛かったと表現することさえも、どうかな?と思うほどです。

とはいえ、ここに書き記すことは当時の自分になったような気持ちで残し、

今すぐではなくても、誰かがこの記事を通して

明日も頑張ってみようかな。という気持ちになってもらえるような

お役に立つことができればいいなと思っています。

今、子供たちと日常的に稽古時間を共にしていると、

誰もが様々な時期に直面します。

いわゆる反抗期など難しい時期は様々なかたちで訪れるものですが、

中には取り立てて理由もないけれど、

なんとなく不安を感じたり、心配事ができることもあります。

私自身が、そういった経験を踏まえて子供たちと向き合う時に、

その「なんとなく不安定」な時期に差し掛かる子供たちの気持ちが

よくわかる時があります。

私がちょうどその時期に差し掛かったのは小学校4年生ごろ。

4回目の国立劇場の舞台を目指していました。

演目は「操り三番叟」

これまでにも数々のインタビュー取材において

人生のターニングポイントの一つとしてお話させていただいています。

「なんとなく」常にゆらゆらと、ソワソワと揺れ動く心と一心同体で

この舞台に向き合いました。

舞台の緊張も相まって、本番前の1ヶ月間はとてもソワソワでした。

でも、唯一そのソワソワ感から解放される時間がありました。

それが、毎日の自主練でした。

今でも忘れませんが、

ブラウン管のテレビに、過去に父が踊った操り三番叟のVHSビデオを入れて、

自分でリモコン操作をしながら父の動きを真似て必ず3回踊る。

これを毎日続ける、と母と決めて頑張っていました。

テレビの映像をそのまま対面で踊ると左右が逆になります。

ということで、鏡図形で自分で左右を変換しながら

どのリズムでどう手足を動かしているのかを見て、覚えました。

フローリングに汗が滴り、汗が目に入って痛いけれど人形の役のつもりで我慢をして、

ご近所の迷惑にならないように気をつけながら、毎日続けたお稽古でした。

あの頃の稽古は、とても印象に残っています。

この自主練の時だけが、あまりの必死さに

音楽が始まるとソワソワ感がピタリと止みました。

さて、迎えた当日。

人一倍緊張しやすい私ですが、

この舞台もまた、支度が終わってからは誰とも話せないほどの緊張だったことを覚えています。

和歌子の黄色い暖簾がかかった楽屋で、じっとスタンバイしていて、

自分の出番を待っていました。

いよいよ本番です。

操り三番叟は、舞台上に置かれた人形の箱の中に入ったままスタンバイします。

小さな空間に一人だけ入り、箱の蓋が閉まりました。

かすかに隙間は空いているものの、完全に一人の空間です。

もう後戻りできない状況です。

緊張もピークに達していた私でしたが

ここで、またひとつ舞台の魔法を感じる瞬間がありました。

幕が開き、三味線の音が鳴り始めた時に、

心のソワソワがスーっと軽くなりました。

あの時の、穏やかな感覚は今でも忘れられません。

何度も何度も聴き続けた、操り三番叟のイントロダクション

稽古では必死な思いから消えていたソワソワが、

本番ではとても安心した心強い気持ちに変わることができました。

そこからは幕が閉まるまでは本当にあっという間で、

ただひたすらやるべきことを淡々と、

しんどいとも、楽しいとも違うとても不思議な感覚でした。

初舞台の頃から感じている照明のあたたかみは、

これまでより熱く感じました。

いつもより長く書いてしまいましたが、

あの時期の緊張、なんとなくのソワソワ感、舞台が終わった後の感覚、

それ以降次第に吹っ切れることができたあの頃の感覚など

その全てが私にとって、とてもありがたい経験でした。

幼い頃の、なんとも言えないあの感覚はもう二度と味わうことはない気がします。

あの時期を振り返り、

自分を育ててくださったたくさんの方、支えてくださった方に、

心から感謝したい気持ちが溢れました。

それと同時に、今度は私が

子供たちに寄り添う中で

誰もが訪れる可能性があるそれぞれの悩みやモヤモヤ、

なんとなく心配事ができたという時に

そばにいてできることを考えられるようになりたいです。

日本舞踊家 有馬和歌子






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