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コラムの向こう側〜故・小田嶋隆さんが与えてくれたもの

生き方や社会の出来事との対峙の仕方に迷う時、誰かが生み出した作品や言葉に大いに救われることがある。
私にとってそのひとつが、昨年6月に逝去したコラムニスト・小田嶋隆さんのコラムだった。

特に、3・11後の混沌、不安、怒り、言い表せないモヤモヤと向き合って疲れ果てていた時、オダジマさんの言葉にどれだけ助けられたかわからない。

コラムとは、「大ファンです!」「あなたの言うことは全て信じる」「絶対その通り」といった具合のある種の宗教性をおびた心酔とは異なり、視点、考え方、生き方の指針やひとつの参考となるもので、人に思考する余地をもって投げかけてくれるものだと私は思っている。
その点で、オダジマさんのコラムは絶妙な距離感とバランス感覚、発見があった。

内田樹さんや平川克美さんなんかの本も読んではみるが、学のない私にとっては高尚すぎて置いてけぼりになることがある。
いや決して、小田嶋さんに知性がないと言っているわけではない。(実際、内田先生や平川さんと小田嶋さんは共著を出す深い関係性であった)

オダジマさんのコラムは、膨大な知識や経験に裏打ちされた考察がありながら、魅力的な言葉を操って独自のユーモア性で社会を斬り、私にも理解ができるところまで言語化して降りてきてくれるのだ。

インターネットを開けば、無尽蔵に多くの人の意見や文章で溢れ返っている。
一方で、上質なコラムや批評文化は消えゆく方向だ。新聞も雑誌も売れなくなり、今後、健全な言論空間は、どこで生きながらえていくのだろうか。
・・・いや、偉そうに書いているけど、あんた誰やねん。

私が知らないだけで、ネットに溢れる罵詈雑言に埋もれている素晴らしい言論の数々がきっとあるはずだ。
そして、優秀な編集者の方々がこれからもそれらを世に放ってくれるだろう。
(私は成し遂げられなかったけど、ラジオもその一端を担ってほしい)

ただ、私個人としては、ナンシー関、中島らも、小田嶋隆らが亡き今、誰の言葉を指針にしてこの混沌とした現代を生き延びていけばよいのかわからなくなっている。

言いようの無い孤独感に襲われ、人生で最大級に苦しんでいる今この瞬間、オダジマさんの遺稿集の巻頭コラムに早速救われて、力が少し抜けた。

「コラムの向こう側」
編集者ではなく、亡くなる直前のオダジマさんがご自身でつけた最期の著書のタイトルだ。

私も、オダジマさんのコラムの向こう側になにかを見出し、なんとかこの世を生き延びたい。

#小田嶋隆 #コラム #コラムニスト #言論 #オダジマ #読書 #批評

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