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知っていますか?【日本庭園に隠された中国文化】②鎌倉・室町~江戸時代


日本各地には多くの伝統的日本庭園が保存されている。
それらは日本の伝統文化のひとつとして、海外からの旅行者にも高く評価されている。
庭園文化が中国大陸から日本に伝わったのは 6 世紀の中ごろ。
それ以後日本庭園は繰り返し中国文化を取り入れながら、変遷発展した。
日本庭園にはどのような中国文化が隠されているのか
各地の庭を見ながら、その秘密を探る。


全体構成: 田中昭三(たなか しょうぞう) profile

1943年和歌山県生まれ、76 歳。京都大学文学部卒。日本の伝統文化の全集を多数企画編集。現在はフリーで取材・執筆に取り組む。庭園文化研究家。著書に『京都とっておきの庭案内』『よくわかる日本庭園の見方』『江戸東京の庭園散歩』ほか。

写真西川孟


鎌倉・室町時代の禅宗庭園


鎌倉時代に日本に伝わった中国の禅は、日本の文化全体に大きな影響を与えた。庭園も例外ではない。
臨済禅の名僧・夢窓国師(1275 ~ 1351)は晩年に京都の西芳寺(苔寺)と天龍寺の庭をほぼ同時に造った。天龍寺の池泉は「曹源池」という。その名は「曹源の一滴水」という禅語に由来する。
世界的に名高い龍安寺石庭(京都市)は、わずか 15 の石だけの庭である。どのような意味が込めらているのかは数十の説がある。見る人によって何を感じるか、まさに禅の世界がそのまま表現されていると言える。
日本の禅院では枯山水がよく造られてきた。枯山水における日本と中国の関係は、まだ明らかにされていない。しかし鎌倉・室町時代に日本にもたらされた多くの中国の水墨画が、枯山水に影響を及ぼしたことは間違いない。


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