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誰かを応援するということ

夫の影響で、3年ほど前から、あるサッカーチームを応援している。

シーズン中は月に3~4回、ユニフォームを着てスタジアムに出向き、立って応援するようなエリアで、手を叩いて一生懸命応援している。
(コロナ禍前は、もちろん声を出して応援をしていた。)


私はもともと、スポーツ観戦には全く興味がなかった。

付き合い始めた彼氏(現在の夫)の影響で好きになったチームなので、今での自分のことを「にわか」だと思っているし、もちろんサッカーの経験など全くないので、戦術的なことや、選手個人の能力のことなど、ほとんど分からない。


だけど、短い期間ながら観戦をしてきて、自信をもって言えるのは、選手たちの笑顔が大好きだということだ。

選手が喜んでいると一緒に飛び跳ねて喜ぶし、泣き顔や悔しそうな顔を見ると、自分まで悔しくて涙が出そうになる。



最近、気になっているひとりの選手がいる。
昨シーズンまで、監督が入れ替わってもスタメンを維持して、重宝されていたし、性格的に自己主張の強くない選手だが、中心選手のひとりだった。

しかし、今シーズンからの新しい監督のもとで、ベンチスタートが圧倒的に多くなった。また、途中出場してもなかなか本来の力を発揮できていないように見える。
最近結果の芳しくないチームのために、と必死にもがいても、結果がついてこないもどかしさが、悲しいほどひしひしと伝わってくる。

責任感が強いのか、SNSでも自分を責めるような投稿をしている。



「がんばれ」
とても無責任な言葉に思える。

一流の選手が、がんばっていない訳がない。
がんばっても報われないことが大半な世界なのだろう。

だけど私は、選手に「がんばれ」を送りたくて、
スタジアムに通い、
「届け」と願いながら必死に手拍子したり、
グッズを購入したり、
SNSに励ましの言葉をコメントしたり、
自分にできることをいつも探している。


今、この記事を書きながら、
「がんばれ」で胸がいっぱいになって、泣きだしそうになっている。
何もできない自分なのに、バカみたいだなあ、と思う。

誰かを応援するって、こんなに難しくて、もどかしくて、こんなに心が熱くなるものなんだなあ。

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