見出し画像

不安でも自分の目を閉じない

3月になりました。あっという間ですね。
今月もよろしくお願いいたします。

定期購読マガジン「ことばとつばさ」はライターで日本語教師のわかばが、毎月20記事ほどを更新しています。そのなかから7記事(+読書会の報告記事の2記事)を無料で配信します。購読していただければうれしいです。よろしくお願いいたします。

===========

わたしは毎日読んでいるnoteやブログ、聴いているvoicyがあります。全て、自分にとって学びになり得るものだったり、心を穏やかにしてくれるものなのですが、たまに気持ちが不安になるものもあります。

今日もある配信を聴いて、すごく不安になってしまいました。でも、それはどうしてなのかを考えてみたいと思います。

情報収集する理由

考える前に、そもそもなぜ人は情報収集してしまうのでしょうか。

いろんな場合がありますが、例えば就職したい時、子どもの教育方針に迷った時、よくわからない病気になった時、血眼になって情報収集してしまいます。

そう、人間は不安になった時、藁をも掴む思いで情報収集します。

かくいうわたし子どもたちが不登校になってしまった時、どうすればいいかわからず不安で、いろんな情報をかき集めていました。どこかに読んだら安心するような情報があるのではないかと思っていました。

自分の目の前の現実とどこかの誰かの言葉

そんな精神状態だと、人間は他人の言葉にものすごく敏感になります。

不安な人間はいつも欲しい言葉があって、その言葉がもらえないと「わかってくれない」と必要以上に肩を落とすし、下手したら怒りさえします。欲しい言葉をもらえたら「わかってもらえた!もうこの人のことしか信じない」と盲信しかねません。

そんなとき、実は見えていないのは目の前の現実だったりします。目の前の現実が辛いので、見ないように情報収集するともいえます。

でも、そんな情報収集を繰り返していても、情報に自分が振り回されて疲弊するだけです。しかも、その疲弊した気持ちをまわりにも振りまいているかもしれません。そうなったら最悪です。正直にいうとわたしはよくそういう状態になります。

不安になったら目を開ける

それで、今日思ったのはこういうことです。

冒頭でも述べたように、わたしは今朝ある音声配信を聴いていました。それは教育に関することで、海外の教育制度はものすごく進んでいるんだという内容でした。

わたしはものすごく焦りました。「うちの子どもたちは全然だめじゃんか」と思いました。プログラミングどころかパソコンすら満足に操作できません。英語どころか、日本語すらあやしい。漢字が読めるのだろうか。

わたしは子どもを海外で教育を受けさせる人を羨ましいなと思いました。わたしも海外にいたことがあるからその楽しさを知っているし、日本の教育の窮屈さもわかるからです。わたしも子どもにそんな教育を受けさせたいです。でも、不可能です。ああ、置いて行かれる、不安、不安、不安。

目を閉じないこと

でも、いったん立ち止まって考えました。そして自分に問いました。

それ本当ですか?本当に不安ですか?なぜですか?

考えた末に、その配信内容は配信者にとっての事実で、それ以上でもそれ以下でもないと思い至りました。たとえば、小学校の友達のAさんが京大に合格したよ、だとしても同じことです。ちょっと羨ましいけど、考えてもしょうがない。「そうなんや」ってだけです。

わたしとわたしの子どもには、私たちだけの現実があり、生きている今日があります。それを見ようとしないで、海外で暮らす人の現実を見聞きしただけで、不安になるのはつまらないことだなと考え直しました。

どこにいたって、誰といたって、不安な世の中です。目の前に広がる現実を、自分の目で見てちゃんと感じたいと思いました。誰かの言葉に惑わされることなく、ただ目を閉じないで自分にとっての現実を見つめて生きていく先にしか未来はないような気がしました。

では、また!

ここから先は

0字
日本語教師でライターが日常をみつめるエッセイです。思春期子育て、仕事、生き方などについて書きます。

ことばとつばさ

¥500 / 月 初月無料

さらにもっととおくに飛ぶためのエネルギーエッセイ

サポートよろしくお願いいたします。 サポートいただけたら、大好きな映画をみて、 感想を書こうと思います。