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変わったのはただ受け止められたからだった

昨日は日本語教育関係のワークショップにオンラインで参加していた。とてもいい時間を過ごした。ワークショップと謳いながら講師がただ話しているだけとか、ただ雑談しているだけのワークショップが多いなか、今回のはしっかりとデザインされた内容で参加してとてもよかったと思っている。

それはどんな内容だったかというと、ざっくりいえば、「あなたがいま自分の現場で感じているモヤモヤを手がかりに、自分が大事にしているもの、つまり理念、は何か言語化しましょう」というものだ。その方法は3人グループで対話をする。順番が来たら自分が話し、他の人が話している間はとにかく聞くだけ。

そうしているうちに自分の理念みたいなものが朧げながら見えてきた。不思議だった。今、対話がちょっとした流行みたいになっているけれど、真摯に対話に取り組むと本当に新たな扉が開かれるから不思議なのだ。言葉の力なのだろうか。

ワークショップは3時間もあってその間一切休憩なしだったのだけど、時間はあっという間に過ぎた。グループワークが終わった後、全体のファシリテーターで知人でもある方が全体でのまとめをされていたので、ちょっと緊張したけれど感じたことを発言した。ちなみに最近は講座などに出席したら質問やコメントをできるだけするようにしている。

わたしは、「このワークショップを通して、学習者が自己表現できる場を作りたいのだと気づいた」と言った。すると、ファシリテーターの方に「以前はそうじゃなかったと思うのですが、そう思うようになったきっかけはありますか」と聞かれた。思い当たることはあったけれど、その場では答えられなかった。

前置きが長くなってしまったが、今日書きたいのはそのことだ。自分を変えたものについて、色々あるのだけれど、やっぱりその最初のきっかけは春原先生との出会いだった。春原先生に受け入れられたこと。それがわたしを変えた。先生は誰かを変えようなんてこれっぽっちも思っていない人で、でも、そこに存在しているだけで多くの人が変わっていったのではないかとおもう。もう心のなかにしか存在していないのだけど。

最初の出会いは2010年だった。日本語教育学会が実施する看護介護の日本語教育研修の最初の日と最後の日に講義を聞き、その後懇親会でみんなで飲みにいった。その後、幸運なことに仕事の関係で月に1回京都に来られることとなり、春原先生を囲んでの勉強会を立ち上げたのだった。多分10年くらい前のことだ。

春原先生の話はいつもおもしろく、意外性があり、示唆に富んでいて、勉強会の場では思わず誰もが話したくなった。誰かの話を決して否定することなく「そうだな、そうだな」と聞いてくださっていた。

わたしはつい最近まで、なぜか父親ほどの年上の男性に恐怖心があって、そういう人とはうまく喋れないという困った癖があった。叱られるのではないか、厳しい評価を下されるのではないかとビクビクしていた。

でも、春原先生は違った。どんな人でも同じように接してくださり、時には真剣に、時にはお酒を飲みながら、誰かの言葉に耳を傾け、そして聞いたことを忘れられることはなかった。わたしは自由に自分の言葉で話すことができ、それが受け止められると安心した。その安心感が自分を強くした。

春原先生とその勉強会の仲間たちで読んだ文章や本、話したことが少しずつ、日本語教師である自分の理念を変えていったのだ。その軸となっているのは、学習者は対等な人間であるということだった。対等な人間同士はどんなふうに対話をするのか、どんなふうに学び合うのか、わたしはそれを春原先生から学んだ。春原先生の生き方がそのまま、わたしのお手本になったと今ではおもう。

特に勉強会でもよく読んでいた春原先生の対談本『わからないことは希望である』の向谷地生良さんとの対談のなかで「人を変えていく充実感に寄りかかってはいけない」という言葉があって、わたしはいつもこの言葉を胸に刻んで、この仕事をしている。学生さんを自己承認のよりどころにしないということを強く自分と約束したいのだ。それが対等であるということのひとつだから。

春原先生は3年前、永い旅に出てしまった。今でも聞いてほしいことがたくさんあって話したいなあと寂しくなる。今でも続いている勉強会はもうすっかり人数も減ってしまったけれど、それでも、学んだことを大切に自分は自分のままで、この仕事を続けるのだろうなとおもう。






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