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ALCEのオンラインマガジンで記事を書きました

記事を書きました、というか公開されました。こちらです。


なのですが、今日はこの記事が公開された経緯について書いてみようと思います。

はじまりは2年前にさかのぼります。

「プロライター大阪道場」というプロライターの研修会でも勉強会でもない、まさしく「道場」ともいうべきともに学ぶ場があって、そこに参加しました。期間は3ヶ月。日本語教師だけじゃなく、ライターとしてもちゃんと書いて仕事にしたいと切に思っていたからです。

そして、リリースの直後に満員御礼となったその「道場」はライターの第一線で活躍する人たちがそろっていました。

正直いって場違い気後れ100%という場所で、それでも、「参加したからには」という思いだけで「必ず出席する」「課題は必ず出す」という2つを絶対に守ろうと思って走りぬきました。今回公開されたのはその最終課題に書いた文章でした。卒業課題は、テーマは自由、誰かに必ずインタビューして記事を書くことという内容でした。

わたしは日本語教師を2004年からやってきましたが、2011年から携わった「EPA看護師介護士候補生」の仕事がひとつの岐路になったので、「EPA」関連のことを書きたいなと漠然と思っていました。

それで、そのことを今は亡き春原憲一郎先生に相談したところ、「平井くんに聞けばいいんじゃない?」と言われ、インタビューをさせていただいた平井さんに繋いでくださったというわけです。平井さんに会って、フェガさんを紹介してもらって、それで、卒業課題の記事を書き上げました。

そして、道場の最終日は講評があって、打ち上げもあって、やりきって良かったという気持ちでいっぱいでした。でも、他の道場生の記事は、やはりすごかったです。わたしなんか足元にも及ばないと思いました。

そして、この記事をどうしようかと思い始めました。「ブログかnoteで公開するつもりだったけど、どこかに持って行ってみたほうがいいかなあ」とか色々考えて考えているうちに時間は流れ過ぎ、あっという間に2年でした。

そんな折、ALCEのオンラインマガジン「トガル」の公開編集会議参加者募集のニュースを多分SNSで見ました。その時はこの記事のことなど考えもしていなかったのですが、日本語教育関係のメディアで書きたいと思っていた自分には「チャンス」かと思って参加しました。

その時、「何か作品あったら出してみてください」と言われ「あ、作品ある!」と思い、この記事のことを話しました。そして、7月15日号に掲載となりました。

もちろん記事の中の情報は変わります。人の考えも変わります。

2年ぶりに読んだこの記事は「本当に自分が書いたのかな」って思うほど、なんだかどこからわいてきたのかわからない怒りがまぶさっていて、今だったら到底使わないだろうと思われる強い言葉のオンパレードでした。「もうちょっと冷静になって書けよ自分」と突っ込みたくなるような文体でした。

全面的に書き直すことも考えたけれど、とりあえず出したかったので、「2019年に執筆したものです」ということにしました。書き直すとまたチャンスを失うような気がしたのです。

そういうわけで、「トガル」の7月15日号に出させていただきました。
(学会の会員にもなりました)

オンラインマガジン「トガル」には編集委員として参加させていただけることにもなり、今後がものすごく楽しみです。

では、また!


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日本語教師でライターが日常をみつめるエッセイです。思春期子育て、仕事、生き方などについて書きます。

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