教師がAIによってなくなる!? 未来の学校の姿とは?
「将来、AI技術の発展によってなくなる仕事があるんだよ。」
そんな話を子どもにしたことがあります。
例えば公務員。(公務員とすべてをひとくくりに考えることは少し強引ですが・・・)
特に窓口業務は様々な申請を受け付けていますが、だんだんとスマホで申請できるものも増えてきています。
このままいくと、今あるほとんどの申請がスマホ1つでできるようになり、窓口に足を運ぶ必要がなくなります。
窓口申請のようにマニュアル化して決まったことであれば、AIによって代替可能でしょう。
では、教師はどうでしょうか?
「10年後の仕事図鑑 堀江貴文 ✕ 落合陽一」(2018)には、
将来なくなる仕事として、「教員」がリストの中に入っていました。
私は、このことについて衝撃を受けました。
「教員」がなくなる理由としては、『AIを利用することで、個々の震度に適した学習指導ができるようになる。先生よりもAIのほうが関数で最適化された個別教育の設計ができるはずだ。』と書かれていました。
確かに、今は「個人の時代」と言われ、組織より一人一人にスポットライトが当たるようになってきています。教育に関しても、個に応じた教育が年々求められるようになってきていると感じます。
そう考えると、未来は学校がなくなり、家で個別にパソコンに向かい合って個に最適化された教育を受けるなんてこともあるかもしれません。
この記事では、「本当に近い将来、教師という仕事はなくなるのか」考えていきます。
教員がAIによってなくなる!? 未来の学校の姿とは
結論 教師という職業はなくならない
私は「教師」という職業はなくならないと考えます。
その理由は、教育は人対人で成り立っているからです。
人対人の関係において必要なのは、コミュニケーションです。
コミュニケーションの多くははAIに代替されることはありません。
AIは「このような質問にはこう返す」といったことを大量にプログラムすることによって、単純なコミュニケーションをすることは可能です。
現にスマートスピーカーに何か尋ねると、それなりの答えが返ってきます。
でも、スマートスピーカーにも限界があります。
少し複雑な質問をすると理解できなくて、「わかりません」という回答が返ってきます。
普段私達が何気なく行っているコミュニケーションは、実はとても複雑です。
例えば「やばい」という言葉、この言葉には本当にたくさんの意味があります。
「このお肉やばい(おいしい)ね。」
「やばい(まずい)。電車に乗り遅れちゃう。」
「映画のあのシーン、やばかった(迫力があって興奮した)ね。」
などなど、いろんなシチュエーションで使われているのにも関わらず、人はこの言葉の意味を間違えて捉えることはほとんどありません。(文字だと時々ありますが・・・)
なぜなら、人は文脈を読んでいるからです。
ご飯を食べ終わったときに言っているから、この「やばい」は「おいしい」ということだと、
文脈から自然に人は推測することができます。
また、表情や声色、仕草や態度など、非言語の情報も人は受けとった上でコミュニケーションをしています。
つまり、人のコミュニケーションは単純なようで、すごく複雑な読み取りを行っているのです。
これはAIの苦手分野です。
人のコミュニケーションのような複雑な処理をするためには、膨大な量のプログラムをAIにしなくてはなりません。これは現実的に実現は不可能なレベルと言われています。
だから、コミュニケーションこそ人の強みであると言えるでしょう。
教師は人を相手にする職業であり、コミュニケーションは欠かせません。
子どものちょっとしたところから、様々なことに気づき対応しています。
これは機械にはできないことです。
確かに、学習効率をあげるために、AI技術を導入し教育の最適化を図ることは素晴らしいことだと思いますし、導入されることを期待しています。
しかし、データでは表せない子どもの様子から、教師は様々な対応を常時行っています。
だから、教師はなくならないと私は考えるのです。
未来の学校の姿とは
「教師はなくならないかもしれないけど、学校がなくなるんじゃないの。」
そう考える方もいるのではないでしょうか。
冒頭に書いた通り、個別最適化された教育なら学校に行かず、家にいても勉強ができます。
学校に行かなくても、教育課程を修了させることは可能になるかもしれません。
新型コロナウイルスの影響で多くの大学がオンラインでの講義になりましたが、
それでも単位が取れ、大学を卒業できた人もいると思います。
実際に学校に行かなくてもなんとかなるという状況になってきているのは疑いようがありません。
学校がなくなれば、教師は必要なくなります。
実力のある人気の教師がオンライン上にいて、たくさんの生徒に授業を行うような形であれば、全国で数名の教師がいるだけで授業が成立するようになるかもしれません。
このような未来は、十分考えられるのではないでしょうか。
しかし、私は「学校はなくならない」と考えます。
学校はなくならない
学校がなくならないのは、学校が勉強だけを教える場ではないからです。
学校は「社会を学ぶ場」なのです。
集団で生活すると、様々な気づきがあります。
「ぼくはこれがあたりまえだと思っていたけど、あの子はあたりまえじゃないみたい」なんてことがしょっちゅうあります。
子どもはいろいろな考え方をもつ人や性格の人が世の中にいることを知ります。
ときには言い争いになることもあるでしょう。
人と人の関係にはトラブルはつきものです。
子どもはそのようなトラブルから人との関係の築き方を学び、自分自身のことについて考えることができます。
社会性を身につける上で学校はとても合理的な場所と言えます。
家でいたら、自分のコミュニティを広げていくことは簡単ではありません。
自分から行動し、同年代の子ばかりでなく、いろいろな年代の人と関わっていけるなら、学校に行かなくても、学校に行く以上に社会性を身につけられるかもしれません。
しかし、こんなことができる子はほんの一握りなのではないでしょうか。
だからこそ、学校という場は必要だと考えます。
大切なのは、子どもたちがしっかりと社会性を身につけられるように、学校がこれまでのことを踏襲するのではなく、学校が大きく変革していくことなのではないでしょうか。
小規模の学校では一クラスが10人という学校もあるでしょう。
やはり、狭いコミュニティでは社会性は育まれにくくなります。
いろいろな子どもたちや大人と日常的に関わっていけるシステムを創ることが今後の学校には求められます。
学校はなくならないとは言いましたが、時代に合わせ大きく変革していくことは必要不可欠だと思います。
まとめ
今回は「教師がAIによってなくなる!? 未来の学校の姿とは」というテーマで考えてきましたが、これからも教師という職業はなくならず、学校も続いていくでしょう。
学校が子どもたちにとって価値のある場所であり続けられるように、
私達教師は時代の流れを掴み、知識をアップデートして、学校のシステムを変えていけるように声を上げていくことが大切です。
このテーマについては、これからもしっかり考えていきたいです。
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