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乾杯の後で

「きみはその、いわゆる『つまらない人間』なんだな。自分の意志が弱い。

 進学も就職のときも周りの意見が8割で残りの2割は君の気分で、という感じだろう。そういう奴に限って、その2割が自分では8割くらいの大決断だと思っているのが問題なんだ。」

「随分言ってくれるね。そんなこと言っても仕方ないじゃないか。誰しも不安なんだよ。自分が何の才能もない人間だということに気づかされることがね。

 自分の力で選択したものが全くの間違いだった時に、周りに言い訳が立たない。だから自分の選択だと言いつつも周りから承認されたものしかできないんだ。」

「きみには何の才能もないよ。」

「分かってる。分かってるけど、向き合いたくない。」

「さっきみたいにきみが饒舌になるのは酒を飲んでいる時だけだ。正直きみとは高校からの付き合いだが、きみのことを理解したのは酒を飲む年齢になってからだ。

 きみは自分に才能がないことを分かっていると言ったが、まだ何もしていない。分かるわけがないじゃないか。周りの人もさ、本当は皆にそれぞれ才能があって、ただ臆病に牽制しあっているだけなんだ。

 自分の翼が何のためについているかわかっていない鳥みたいに、崖から飛び出せば優雅に飛べるのに、日々翼を不器用に震わせてサルの真似事をしているんだ。」

「偉そうに講釈を垂れているところ悪いけど、君だって自分の店を始めて間もないじゃないか。

 暗闇に一歩踏み出しただけだ。偉くもなんともない。君には成功してほしいけど、正直そんなに甘くないと思うよ。これはぼく自身に対する言い訳でもあるけど、賭けに出るにしては、分が悪すぎる。」

「これは賭けでも何でもないんだよ。一世一代の大勝負という感覚が間違いなんだ。大きなリスクを抱えているわけじゃない、大きなリターンが見込めるわけでもない。ただ、自分の意志が一番大事だというだけのことなんだ。

 才能というのは他者を大きく突き放して巨万の富を得る特別優待券じゃない。自分自身の意思のことだよ。本当に意思を持った選択ならそれでやっていけるはずだ。周りに言い訳したくなるのは他者が自分の中の大事な部分にまで侵食してくることを許しているからだ。そこを死守するんだ。」

「ぼくにとって一番重要なのは、意思がどうとか、目に見えない問題じゃなく、金の問題なんだ。

 今の仕事は肌に合わないけど、やっていけないわけじゃない。今の仕事を手放すと、もう二度と同じ条件の仕事は来ないと確信がある。それを手放して、最悪金にならないことを始める。金にならないままの日々が過ぎ、貯金もなくなる。『チャレンジはした。諦めよう。』と以前よりもっと肌に合わない仕事をする羽目になる。これが怖いんだ。

 宝くじが当たらないように、夢は叶わない。寝ている時に見るから夢なんだ。そこに生活者のぼくはいない。」

「今、肌に合わない仕事をして金を稼げているのに、自分の決断した仕事が金にならないだろうという根拠は何だい?ただ今の仕事から逃げたいのが目的なら、ほかの仕事を見つければいい。やりたいことがあるなら、それをすればいい。」

「会社員の仕事は案外楽なもので、やるべきことをやっていれば良いんだ。企業という金を稼ぐ装置に途中から参加して、そのおこぼれをもらっているだけだ。少なくとも今はそれに乗っかっていれば日々をこなしているだけである程度生活できる。

 大学の同級生で、卒業してから就職せず、金にならないことをはじめ、二年たった今でも金になりそうな気配がない奴がいる。そいつに金を貸しているわけでもなし、口出しをするつもりはないけど、彼の将来を思うと不安になる。

 白状すれば、そもそもぼくは仕事というものをしたくないんだよ。多分、自分の意思で決めた仕事であってもね。金を稼ぎたくないんだ。ずっと映画を見ていたいし、誰にも読まれない小説を書いていたい。理想の生き方が、金と結びつかないんだ。『こんな仕事をしたい』が『こんな生き方をしたい』とイコールじゃないんだ。生き方の理想だけあって、仕事の理想がないんだ。だから、誰にでもできるようなつまらない仕事に時間を喰わせている。」

「そうか。きみはその同級生や僕が羨ましいんだろう。疼きを我慢している状態だ。一生我慢できる疼きを抱えたまま、湿気た爆弾のような最期を迎えるんだ。僕にはわかる。

 僕から言えることは二つ、今後どんなに仕事に追われても絶対にその理想の生き方を辞めないで欲しい。それともう一つ、きみの書いた小説を読ませて。」

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