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感情があったからむずかしくなってしまったんじゃないか


会話の上澄み

「まあ、なんかもやもやするよね」
 これは、日常会話のうえでの上手な逃げのひとことだった。会話のなかで生まれたあらゆることへの違和感を深く追求しないよう、やわらかく流すよう、上澄みだけ掬って捨てる。そんな意味あいをどうにか笑ってごまかすための、自分なりのふわっとした、逃げ道だった。

いい人でありたいと思う

 自分はいつも、何かから逃げている。自分も他人も、つねに都合のよいかたちでいてほしいと思っていた。何も傷つかないように、関わりあったときと同じかたちであるように。
 他人を傷つけないようにすることは、自分を守ることでもあった。いいまわしに気をつけて、より違和感なく、オブラートの膜は薄くしつつも、あからさまでないよう心がけた。自分の心を守るには、自分はつねにいい人でなければならない。誰よりも自分を愛するために、誰よりも一番いい人でなければならなかった。
 他人に気をつかうことで、より気持ちよく自分を尊べる。いい人になることは簡単だった。自分を適度に卑下することは得意だった。自分はあなたよりも劣っている人間であることをアピールすれば、自動的に仲良くなれ、話しかけてもらえるようになる。世の中は単純で、わかりやすく、そしてまったくおもしろくなかった。

感情があってしまったことによって

 自分の感情を知ってもらいたいと、小さいころから感じていた。小さなころから、スポーツの応援をする人が苦手だった。「なんでゴールできないんだよ」「そこはそうじゃないだろ」「あーもう、なんで外すかなあ」がんばっている人に、簡単にひどいことばをいってしまえるスポーツの世界は、自分の居場所じゃないんだと、早い段階で気づいた。幼い自分が「なんで、一生懸命にがんばっている人にそんなふうにいうの」と問うと、相手はきょとんとしていた。世の中は、白もあれば黒もある。まったく同じ世界で、まったく違う人間が、まったく同じところにあり、息苦しそうに呼吸している。
 他人に対して、言葉づかいに気をつけることは「自分のなかだけの当たり前のこと」なのだと自覚するようにしていた。別に他人が「そっけないような返答」をしてもそれが相手にとっての当たり前のことなのだから、こちらが傷つく必要はないし、自分が気を配っているだけなのだから、相手にさらなる「気配りの要求」をすることはあってはならないことだと気をつけた。
 相手に「そっけない言葉と態度」をとられ、「気配りが物足りない」と感じてしまうことは、とても恥ずかしく、とても未熟な感情だった。いっそ感情を消し去りたい、要求してしまう自分はなんて愚かで、思春期で、中二病な、恥ずかしいおとななんだ。いつまでたっても、世の中に傷つき、人間に傷つけられ、自分が可哀想だと思ってしまう、ちっぽけな子どもである。

悲劇のヒロイン気どりは誰だ

 カメラマンのアシスタントをしていたとき、オークのようなベテランカメラマンに「あなたはいつも、映画のアメリを気取ったような顔で、誰も自分のことをわかってくれないといったふうにしているけれど、もうおとなだというのにそんなことでいいのか」といわれたことがあるが、よけいなお世話だとそのときはかなり腹を立てた。大須の喫茶店で社長に「辞めます」といったときは、とても清々しい気分だった。他人の感情を知ったふうな口できいてくるような駑馬の傀儡のいる会社なんてこちらから辞めてやる。あんたはいつまでも、つまらない写真だけ撮っていればいい。あんたの撮る写真こそ、自己満足がすぎる、ひとりよがりの写真だと、そう心のなかで叫ぶが、けっきょくのところ、クリエイターなんて、ひとりよがりの自己満足のものでしかないのだと気づくのはそれからだいぶだってからだ。
 自分の感情をさらけだし、表現すること。それが物作りなのだし、さらけだせばさらけだすほどに、それは光り輝くのだと、最近になってようやく気づく。クリエイティブな仕事は、職種ごとに尺度は違えど、自分の感情がより重要になってくるのだと思う。

簡単なことをむずかしく考えている

 しかし、けっきょくは自分はいつまでも逃げている。他人の感情から。自分の感情から。さらけだせばいいものを、見られたらかっこわるいからと、羞恥心の奥底にしまいこんでいる。
 スポーツが苦手なのは、失敗したときにひどいことをいわれたら、自分がだったら死にたくなるほど悲しいから。カメラマンにいわれたことも、同じだ。
 もやもやした、何かもわからないものに、いつまでも気後れしている。
 それでも、今までの人生で向けられたさまざまな感情があったから、今の自分がある。色んな感情を浴びて、感じて、泣いて、喜んだ。
 感情は人をゆさぶる。悲しみにも、喜びにも、簡単に突き落とすことができる。人はもろいし、人は単純だ。感情を浴びて、死にたくなる人もいれば、もやっとするだけで終わる人もいる。
 わからないものは、こわい。それでも、どうしても、手探りでも、やっていかなければならない。上澄みをていねいに掬うように、一歩ずつおしはかっていく。
 もやもやとして、なんなのかわからないものを、ていねいに掬っていく。

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