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9月入学の誤解と幻想(1)

オンライン授業が小学校から大学までで実施されるようになると、特に高校までの児童・生徒の「学習格差」が問題になりはじめました。そして、学習格差を解消するとともに、入学時期を「グローバル・スタンダード」にあわせるという理由で「9月入学」に関する議論がおこりました。すでに「noteことはじめ:予告編(1)」でもふれたように、9月入学によって学習格差が解消される、あるいは生徒・学生の海外留学と優秀な外国人留学生の受け入れが促進される、というのは根拠薄弱な議論です
 6月5日、萩生田文科大臣は9月入学の見送りを正式表明しましたが、今後も、この議論は再燃すると思います。そこで、9月入学の誤解と幻想についてお話します。9月入学のメリットとデメリットについては様々な議論がありますが、ここでは、議論の発端であり、また二大メリットとしてあげられている、学習格差の解消とグローバル・スタンダードに焦点をしぼって考えます。今回は、まず学習格差についてお話します。

学習格差が9月入学で解消しない理由

 9月入学の議論は、当初、2020年の9月からでも導入するようないきおいがありました。それというのも、コロナ禍の一斉休校で生じた学習格差を秋にはリセットできる、という期待からでした。しかし、よく考えればわかることですが、かりに9月入学が実施されたとして、その時期にコロナの第二波がくれば、学習格差のリセットという目的は無意味になります。これが、9月入学で学習格差が解消される、という議論が根拠薄弱である基本的な理由です。
 もうひとつ考えなければならない重要なことは、「学習格差」という言葉がもつ複雑さについてです。今回の一斉休校で浮き彫りになった「格差」には、実は様々なものが含まれています。それは、オンライン授業の実施の有無や実施方法に関する国公私立や地域による格差、学校による授業コンテンツの格差や指導の格差、通信環境を含む家庭の教育環境の格差、そして児童・生徒の学力や学習意欲の格差、などです。これらが複合して、「学習格差」というイメージを作りだしているといえます。
 このように考えると、9月入学にしたからといって、様々な格差がすぐに解消するわけではないことがわかります。とくに「学校の教育環境」については、政府が教育自体にあまり投資してこなかったツケがまわってきていると考えることができます。下のグラフに示したように、日本の教育機関への公的支出割合(対GDP)は、経済開発協力機構(OECD)加盟国のなかでも最下位です。

教育支出

学力格差は9月入学では解消されない

 さて、「学習格差」と呼ばれるもののなかで、深刻なのは児童・生徒の学力や学習意欲の格差です。一斉休校のなか、双方向のオンライン授業をやってくれる学校ならまだしも、ドリルやプリントを配られただけで自習せざるをえない場合、児童・生徒の理解度を学校側が把握するのは難しいですし、児童・生徒もわからないことをその場で質問することもできません。そうするうちに、児童・生徒のあいだで理解度に格差がでてきます。

 すこし横道にそれますが、高学歴お笑いコンビ・ロザンの菅ちゃん(菅広文さん)の言葉に耳を傾けてみましょう。

某ママタレ「(学校が一斉休校になって)オンライン授業がぜんぜん進んでないからうちの子どもが勉強してない」
菅ちゃん「じゃあ、オンライン授業の前は勉強してたんやな?」

 菅ちゃんの鋭い返しは、一見、お笑いのネタのようにみえて、重要な「真実」をいいあてています。つまり、一斉休校で子どもたちが一日中家にいることで、子どもの学力や学習意欲について、親があらためて認識するようになったわけで、オンライン授業以前に、子どもの学力や学習意欲の格差はすでに存在していたということです。

 子どもの学力や学習意欲と社会経済的地位(親の学歴・世帯収入・職種・職位)のあいだに関係があることは、これまでも教育学者や教育社会学者によって明らかにされてきました。しかし、このような調査研究結果にもとづいて教育政策が策定されてきたわけではありません。また、子どもにとっては選ぶことのできない家庭環境が学力や学習意欲と関係があるという見解は、伝わり方によっては、いわれのない差別をうむことにもつながるため、公の場での議論になりにくかったのではないかと思います。
 最近、松岡亮二氏は『教育格差―階層・地域・学歴』(筑摩書房、2019年)のなかで、社会経済的地位による学力格差という傾向は小学校入学時点ですでに存在しており、その格差は義務教育期間を通して大きく変わるわけではないことや、教育格差(親の学歴と子の学歴の関連の強弱)は、多少の変動はあるにせよ、戦後からそれほど大きく変わっていないこと、などを緻密なデータ分析をもとに明らかにしました。
 この格差を解消するための「正解」はすぐにはみつかりませんが、まずこの「不都合な真実」を直視することからはじめなければなりません。また、いま社会経済的地位が高い人々は、現在の地位が自分の努力だけによるものではないことを謙虚に受けとめるべきでしょう。さらに、教育政策が経済政策であることも認識する必要があります。国際連合教育科学機関(UNESCO)ではなく、なぜOECDが国際的な学力調査をするのでしょうか。それは、青少年の学力がその国の経済発展や国力に大きな影響をあたえるという考えからです。そう考えると、ますます「教育政策=経済政策」ということが理解できます。

 これまでお話してきたように、9月入学で学習格差が解消される、などという脳天気な問題ではありません。学習格差は、一斉休校によるオンライン授業を通してあらわになってきました。ところが、もし学習格差の解消を旗印に9月入学が導入されたとしたら、今度は潜在的な学習格差が隠蔽される可能性があります。つまり、どの児童・生徒にもスタートラインは平等に確保したので、あとは個人の自己責任です、というわけです。これでは、いつまでたっても本当の「格差」は解消されないままです。

9月入学の誤解と幻想(2)に続く

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